1週間前になるが、BSで「立川談志 きょうはまるごと10時間」が放映された。なぜ?今、談志を特集するのか不思議に感じたが、今月のNHKのテーマは”奇才、天才、超一流”だそうで現在の落語界の中でも天才、奇才と言われる立川談志を取り上げたらしく、まあ、納得した。
実は昨年の今頃だったか、NHKスペシャルで「71歳の反逆児、立川談志」を見た。私が若い頃談志がタレントとしてTVによく登場していたが、毒舌家の印象が強く好きではなかった。従って、彼の落語もまともに見たことも聴いたこともない。NHKスペシャルはたまたま見た番組で途中からだったが引き付けらてしまった。あの立川談志が落語を演ずるうえで老いと闘って七転八倒している姿を映し出していた・・・。あの当時の毒舌は顕在だが、その中に子供っぽさ、かわいらしさが見え隠れして、悩み苦しみと闘っている。それでも落語をやめない。天才と謳われている人がやっぱり人間だったんだ~、でも諦めない姿勢に感動し、談志という人物を見直し、好感を抱いたのを覚えている。そこで、今回の企画を耳にし、全部でないが見てみたしだいだ。
番組では談志に関わりのある人たちが入れ替わり立ち替わり登場。親友、弟子、落語界の同僚、弟子にもなっている談志ファンの芸能人・・・。談志という人を様々な角度から紹介していた。もちろん、本人の落語もいくつか放映した。その中で、ある年、弟子たちが「二つ目」昇進の試験を受けている時の貴重なシーンが流された。立川流の門下の昇進試験は他の門下とは比べ物にならないほど厳しいらしい。まず、「二つ目」の昇進条件は、古典落語を五十席は持っていること、さらには日本舞踊、小唄や長唄、民謡、講談のレパートリーを10以上はこなせるようにしておくこと、なのだそうだ。<因みに「真打ち」は100席> 審査員は談志一人。次々に「○○やって・・・次、○○やって・・・。」しかもその審査の速いこと。ものの10秒も経つか経たない程度で判断。落語を極めた人は良いか悪いかは即座に判断できるのだろう。ある弟子は日本舞踊の踊りを途中までしか稽古していなかったらしい・・・ただちに談志が激高する。その時の挑戦者は10人くらいいたか?昇進したものはわずか一人だけだった。その試験を最後に廃業したものも出たと伝えていた。
談志が言う。「落語だけしかやらないんならただの落語家になれ。」それは私もわかる気がし、談志の考えに賛成だ。何かを伝えようとするとき、一つの世界しか知らない者とそれ以外の世界を知る者とでは伝わり方が違ってくると思う。芸のはば、奥行きで伝わり方が違ってくると思う。特に伝統を重んずる談志。落語の話の中には昔から伝わってきている日本の文化、所作等も入っているだろう。それを知らずにただ話だけを伝えても気持ちがこもらず、聴いている者にも感動を与えることは少ないと思われる。
談志は若い頃相当に努力家だったらしい。自分ほど古典落語のレパートリーを持つものないないと自負している。そこからくる自信が毒舌家となり、言いたい放題の言動も生まれてくるのだろう。また、伝統を現代に伝えることに強い執念を抱き続けている。
親しくしている文芸評論家の福田和也氏と談志の対談のコーナーがあった。その中で印象に残った言葉がある。福田氏が切り出す。「芭蕉が弟子に残した格言に『昨日の我に飽きるべし』があるが、それを知らずともすでにその境地を実行してますね。」と。どんな演技にもつねに満足しない。ステージから下がる間や楽屋では「コンチキショー!!」とぼやき、反省をしている姿がたびたび映し出されたからその言葉に納得した。
番組第2部の最後に大ネタの「居残り佐平次」を観客のいないスタジオ内で熱演(ほぼ1時間近く)して終った。私は落語を聴く初心者。喉頭がんを患ったことのある談志家元(*立川流では師匠を「家元」と呼ばせている)のかすれ気味の声と早口に正直聴きづらさを覚えながら最後まで聴いた。その良さをわかるほど落語に精通しているわけではないのが悔しいが、立川談志という一人の人間としてすごく魅力を感じ始めた。これからは談志の落語ももっと聞いてみたいと思う。
興味のある方は次のページを見てみてください。立川談志という人がどんな人生を歩んできたかわかります。
ウィキペディア「立川談志」
ウィキペディア「落語立川流」
最近のコメント