小江戸・佐原散策⑤
伊能忠敬記念館
小野川の樋橋(ジャージャー橋)を挟んで伊能忠敬旧宅と記念館がある。まずは記念館へ。お酒(720ml)を買ったのでここまで来るのに重かった。ロッカーは無いみたいで、受付に言うと預かっといてくださると言うので助かる。
伊能忠敬は元は現在の九十九里町に生まれ、17歳の時に佐原の伊能家の婿養子になりました。48歳の時に伊勢神宮への旅をし、このときに緯度方位観測を行ったそうで、この頃より天文、暦学への興味を抱いており、50歳になってから江戸に出て高橋至時の弟子になり本格的に天文学を学びます。55歳で北海道の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳になるまで行いました。73歳で亡くなりますが、弟子たちが引き継ぎ3年後、日本全図が完成しました。
私が驚いたことは正確な伊能図は1枚だけかと思っていましたが、縮尺の違う大図・中図・小図のほか測量ごとの地図や名勝地の地図など多くの種類があることでした。コンピューターや印刷の無い時代によくも緻密にしかも何枚も制作されたものだと感心するばかりです。また、伊能家の家業は醸造業でしたが、養子になった忠敬はその財を3倍まで増やしたと言うのですから、商売にも長けていたことも知りました。優秀な者は何を任せても素晴らしい才能を発揮できると言うことでしょうか?天は二物を与えずのことわざは当てにならない言い方かも知れません。
樋橋<とよはし>(ジャージャー橋)
江戸時代初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋を作り小野川に架けられた。元々は橋でなく、後に大樋を箱型に敷いて人が渡れるようにしました。大樋より水がジャージャー落ちるので「ジャージャー橋」と言う愛称で呼ばれてます。現在の橋は、平成4年に架け替えられました。
伊能忠敬旧家
記念館の反対側は「伊能忠敬旧宅」です。
旧宅は忠敬が養子に来る以前の家だそうで、裏手に書斎があり、これは忠敬自身が設計を手がけたと言うことです。 そのすぐ下の小野川に観光船の発着所がありました。船にはコタツがあるみたいですね。今回は乗りませんでした。次は、伊能忠敬のお墓がある「観福寺」を目指します。
そこに向かう途中、「与倉屋大土蔵」の脇を通りました。この土蔵は明治初期に建てられたものです。ここは始め酒醸造業、続いて醤油醸造、製粉業を。現在は倉庫業をしているとあります。小野川沿いをドンドン下り、15分ほど歩いてやっと「観福寺」に着きました。
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