チェ 39歳別れの手紙
前篇の「チェ 28歳の革命」を見てから3週間後、後編の「チェ 39歳別れの手紙」を見た。
前篇に比べ、後編はゲバラたちのゲリラ隊がどんどん窮地に追い込まれ、最終的にボリビア政府軍に捕らわれてしまう。隊長のゲバラは戦犯裁判もなく、捕らわれた翌日あっけなく処刑されてしまった。結末は判っていて号泣するかと予想していたが、あっさり銃殺されてしまい、私自身も静かな涙を流す最後だった。
映画はキューバ革命を成功(1959年1月3日)に導いた6年後、キューバ共産党の発足式から始まる。そこにはカストロと並ぶはずのゲバラの姿が無い。彼はその半年ほど前にカストロに手紙を残しキューバを去っていたのだ。噂が噂を呼び、カストロとの不仲説さえ流れだし、ついにカストロはゲバラから彼に宛てた手紙を発足式の場で読み上げ公表した。その中身はキューバにおける地位、市民権を放棄し、新たな戦場へと旅立つ決意とともにキューバへの熱烈な愛情を示して書かれていた。
ゲバラは手紙を残しキューバを去った翌年、変装しボリビアに侵入した。現地のゲリラたちを革命戦士として訓練し、第2のキューバ革命を興そうと闘志に燃えていた。しかし、その目論見は次々と崩れ始めてしまう。支援を当てにしていたボリビア共産党が及び腰で武装闘争を拒否。厳しい訓練に耐えられず脱走したものが現れ、彼らから政府軍にゲリラの情報が漏れていく。それでも、一時ゲバラの部隊は政府軍と遭遇し大勝利をおさめたりした。次第に力をつけているゲバラ隊に政府軍はアメリカの全面的支援を得、対ゲリラ用特殊部隊の育成を進めた。緒戦を優勢に戦ったゲバラたちも展開した地帯が山脈と渓谷の過疎地で補給路や連絡路が難しく、食料や医薬品の不足から兵士たちの士気を失わせていく上、ゲバラ自身も喘息の発作に苦しんだりした。頼みの住人は山間部では生活は貧しいが政権の政策に甘んじゲリラ隊によそよそしく協力的でなかった。鉱山労働者ら戦闘的な人民は首都付近が本拠地であり地理的に連携しにくい上、先手を打って政府軍が武力で弾圧、容赦なく虐殺を行った。もう一つの隊ホアキン隊と離れ離れになり、連絡が取れないまま両隊は分断状態に。ホアキン隊は農民の通報によりある川を渡っているところを全員銃撃された。孤立無援のゲバラ隊はユロ渓谷で政府軍に包囲されゲバラは囚われ、イゲラ村に護送。翌日、最高司令官からの指令の電話を受け、村民も見守る中、射殺により公開処刑が執行された。1967年10月9日(ボリビア潜入341日目)、ゲバラは革命に殉じ、39歳の生涯を閉じた。
キューバ革命の成功までの前篇と比べ、なんと暗い後篇の内容だろう(u_u。)
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