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2011/08/29

阿修羅のごとく 

 この夏に読んだ最後の本は向田邦子の「阿修羅のごとく」だ。

30年ほど前にNHKで放映した作品で、タイトルとその時に使用されたトルコの音楽だというすごく印象に残るフレーズと音のテーマ曲だけはしっかり覚えている。しかし、内容は全く忘れてしまっていた。

阿修羅とは?

ウィキペディアによると

「興福寺宝物殿の解説では、「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記している。 帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在。この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶ。

姿は、三面六臂(三つの顔に六つの腕)で描かれることが多い。

奈良県興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝)や、京都府三十三間堂の二十八部衆像・阿修羅像(国宝)が有名。

日本語では、争いの耐えない状況を修羅道に例えて修羅場(しゅらば)と呼ぶ場合もある。激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる状況を指す。」

日常争いを好み、怒りの生命の象徴で争いの絶えない世界もさすとか・・・。有名な阿修羅像の少年のような顔からは想像できない神だ。もっとも、三面持つ顔の一つは怒っている顔でもあるが・・・。

前置きが長々となってしまったr(^ω^*)))

借りた本はまさに台本をそのままのせている。はじめは抵抗あって読みにくいなあ~と感じたが、ストーリーが面白いせいかいつの間にか違和感が無くなっていった。(内田百閒の「ノラや」と同じ状態)

その当時のドラマの配役が載っていたので、本を読みながらその俳優たちがしゃべっているのを想像しながら結構楽しめた。

簡単に言えば四人姉妹のそれぞれの人生を辛辣に、でもユーモアを交えて温かく描かれた作品。その中で描かれる男たちは情けない者ばかり・・・・。

女から見た男が描かれていて、視聴者も男性は見るのがたまらなくなり、女性は我が身のように見たとあとがきに演出を担当した、かの和田勉さんが書いている。

パート1の最終回の台詞に「女は阿修羅だねぇ」「勝ち目はないよ、男は」とある。

今も世の中変わっていないなぁと思う。肉食系女子に草食系男子だもの・・・。

向田邦子さんが飛行機墜落事故で亡くなって今年で30年になったそうだ。7月下旬から始まった向田邦子さんのドラマ「胡桃の部屋」を見ている。

まるで向田さん自身の家族構成だし、、妻子のある男性を好きになってしまう主人公は邦子さん自身のようだし、父が失踪しいわくのある女性方に住みこんでしまったり、姉が夫の浮気に悩んでいたり、妹は玉の輿になりそうだったりと、ちょっと阿修羅のごとくに設定が似ている気もすし、相変わらず男どもは何をやってんだか??って描き方だ。

いずれにしてもドラマは最終回近くでこの先どうなるんだろう?とハマっている私だ。

「阿修羅のごとく」はNHKのオンデマンドで配信されていることがわかり、あらためて見直したいと考えている。

2011/08/23

向田邦子 暮しの愉しみ

向田さんを代表する作品「阿修羅のごとく」を探すため図書館内のPCで検索した際、その他の向田さんの書籍が案内された。

向田さんてどんな人?どんな女性だったのだろうと興味が出て、日常の向田さんを紹介するフォトエッセイ本を手に取ってみた。ふんだんの写真に楽しそうな向田さんの笑顔が満載。肩が凝らなさそうな本なので借りてみた。

手軽でおいしい手料理、食いしん坊ならではの器選び、こだわりの盛り付けに使用する食器、行きつけの店、猫好き、ブランドにこだわらないさりげないオシャレ、旅等

自分を主張し自分らしく生活する素敵な生き方が良くわかる。

もともと実家に住んでいた時、母親が炊事の手伝いをさせた。刻み物は邦子さんに任せられていて、勘のよい邦子さんはとことん努力し極める性分だった。腕を上げ、千六本を刻む包丁さばきはスピーディーで見事だったそうだ。(妹、和子さん談)

外食でおいしいものに出会うと作り方を聞き出し、自宅で早速作ってみる等は当たり前だったようだ。 

さらに、手際良く冷蔵庫の中の材料を使って作る簡単料理。好きな器に盛って食べたい!という思いから凝り始めた食器選び。極めるのが好きな向田さんはやがて骨董に惹かれていく。

その範囲は絵画、書と広がっていく。彼女の住むマンションの部屋にはそこかしことお気に入りの物が存在した。

また、着る物にもこだわる。仕事着は勝負服。書きものをしていて疲れのない形。よそゆ着以上にもとでをかけて作る。気にいったシャツは色違いで揃える。欲しい服が無ければ自分で作ったり(洋裁にもたけていた)、ここぞという時は友人のデザイナー(美智子様のデザイナー)に頼む等。

好きな猫は数匹飼っていた。そして、仕事の合間を縫っての旅。おもに海外に出かけていた。

人を誘って自宅でもてなすのが好きだったが、ついにおいしくて安くて女一人でも入れる和食の店を出してしまう。おかみは妹の和子さん。と言っても、時には邦子さん自身で腕をふるうこともあったという。

まさに向田邦子さんは衣食住を自分好みに楽しんで暮らしていらしたんだなあと羨ましく思う。

現実的には家庭を持つ一般的な主婦にはこのような暮らしかたは出来ない。

でもヒントはあるな~と思う。自分の身丈にあった範囲でのお気に入りの物を揃えたり、楽しんだりは可能だろう。そして、日々の小さな幸福を味わって過ごすことはできそうな気がする。 

2011/08/20

ノラや 内田百閒

 「おまえなしでは生きていけない」というTV番組を見たのが縁で猫好きの作家たちの本を読み始めた。

 

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まずは、内田百閒の随筆集「ノラや」。明治半ば生まれの百閒の文章は昔の綴り方どおり(正式には歴史的かなづかいと言うそう、この言葉も勉強になった)ではじめは読みづらく抵抗があった。(例えば、○○がゐた とか 飼つてやらうかと云ふ とか お願ひ申します 等)。しかしそれも文章の面白さに惹きつけられしだいに慣れていった。

  ふとした縁で野良猫を家猫として飼うことになった百閒。その猫「ノラ」を愛し、猫の動作、しぐさを機知に富んだ文章で綴って愉快だったが、そのノラがある日失踪する。それからは猫好き読者としては百閒と同様、涙、涙だ。

序章は猫との出会い、家猫として飼うようになったいきさつや猫好きには「うんうん、そうそう」と言わせるエピソードが楽しめた。しかし、ノラが失踪してからの百閒の悲しみの文章にはとても胸が痛む。短い日記を付けていて毎日のように涙を流す百閒。探すために新聞広告、折り込みチラシ、英文広告まで数回出す。日記にはノラがいなくなってからの日数「○○日目」も綴り、広告を見て知らせてくれた人の家に妻や編集者、親しい者に向かわせ、時には埋められた死体までも掘り起こして確認させていた。

ノラがいなくなってから、次の野良猫が住み着くようになる。ノラ似のその猫はドイツ語で小さいという意味の「クルツ」と名付け、愛称「クル」で呼んだ。普通、次の猫が現れたら以前の猫のことは薄れていくと思われるのだが、百閒はいつまでもノラを探し続ける。ノラのいなくなった寂しさは2代目クルツでずいぶんと癒されただろうと猫好き読者として安堵した。

そのノラも5年以上生きた。ケンカっぱやくてずいぶんと怪我をして百閒をひやひやさせ、,動物病院にたびたび世話になった。ある夏の日、よたよた歩くクルツに往診を依頼。獣医は夏風邪に下痢だと言う。しかしその日以来元気をなくし弱っていくクルツ。職業柄、起きるのが遅い百閒だったが、心配でそれからは朝早く目覚めるようになり早朝クルツを覗き込む。往診は11日間も続けられた。そしてついにクルツは介護される中家族に撫でられながら息をひきとった。夫婦と女中の三人で号泣したと日記に書かれていた。

そのクルツの命日は昨日、8月19日クルツ、おまえは良く百閒先生をノラに変わって癒してくれたね、ありがとうと私からも言いたい。

失踪したままのノラと違いクルツは庭に手厚く埋葬された。

あらためて思う。百閒のノラやクルツに対する愛情は猫好きを自負する私でさえ遠く及ばない。ノラ(失踪後は知らないが)やクルツは幸せな猫生(人生ではなく・・・)だったことだろう。百閒は昭和46年に没。

その後は天国でノラやクルツと楽しく暮らしていることだろう。

今年の私の夏

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←私ではありません。イメージ画像です!

数年前までは夏には家族旅行に出かけたものだが、このところの夏はどこにも出かけない。というか、出かけられないが正しい。

子供は成長し親と出かけることはあまり好まない。また、この何年間で増えに増えたcat(全4匹)がいるため家族全員での長時間の外出は出来ない。

それに加えて同居している義父が高齢で足腰wheelchairが弱くなっていて介助が必要になることも多くなってきているし、他に面倒を見てもらえる者もいない。

そんなこんなで今年もどこにも出かけられない。家事をこなしそれ以外に過ごす時間と言えば録画したtvTV番組を見たり読書bookをしたり。インターネットpcは必要な時しかPSを立ち上げなくなりその時間はだいぶ少なくなっている。

今年の夏は、先月取り上げた「おまえなしでは生きていけない」という芸術家たちが愛猫と暮らした時のエピソードをドラマ化した番組を観たのをきっかけに、特にその作家たちの書いた本を読む楽しみができ早速図書館で借りてきた。

冷房の効いた昼下がりと言いたいところだが節電の夏、扇風機の風に当たりながら首には今年のヒット商品の冷却タオルをかけてアイスコーヒーを飲みながらの読書。

借りた本が予想以上に面白くて読みふける。それが私の今年の夏のひと時だ。

まずは内田百閒の随筆集「ノラや」。そして向田邦子の「阿修羅のごとく」。ついでに多量の関連写真をふんだんに載せたフォトエッセイ「向田邦子 暮らしの楽しみ」も借りてこちらは雑誌を読む感覚で楽しんだ。

タイトルは「今年の夏」と題したが、あと数年はこんな夏が続くと思われるが・・・。

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