あなたを誇りに思います
この記事もちょっと時期がずれてしまいましたが、忘れてはいけない忌まわしい3・11関連の話題であり書きたいと思います。
先日の3月11日。あれからもう3年が経ってしまった。被災地は思うように復興が進んでいない。資材不足・人材不足・人口流出、その他様々な問題が発生・絡み合い、負のスパイラルに陥っているようだ。
福島では、原発事故の収束など気の遠くなる先の先の話。聞こえてくるのは高濃度の汚染水が漏れたという話ばかり。そのたびにため息が出る。漏れた水は地に染み入り、または海に流出しているだろう。東京電力、本気で取り組め!
ノーモア原発の民意の声を全く無視し政府は原発の再稼働に向け力を注いでいる。国は一体何を考えているんだ!怒りが湧いてくる!
3月11日の日。用事で外出した。出先で14:46に黙とうしようと思っていたのに気が付くと15時近くとなってしまい残念。でもその時点で遅れて黙とうをした。帰宅してからTVを付けると、「東日本大震災三周年追悼式」が中継されていて、遺族代表の岩手県の浅沼ミキ子さんが祭壇に向かうところだった。
「もう顔を見られなくなって3年もたつのですね・・・(中略)。地震の直後に、お客さまを非難誘導してきたあなたと会うことができました。生き生きとした顔で仕事を遂行しているあなたを頼もしく思い、言葉を掛け合って、お互い安心して別れましたね。あれが最後になることなど思いもせず・・・(中略)多くのいとしい命が、人を助けたい一心で頑張ってくれました。大好きだった陸前高田の人たちを守りたかったでしょう。・・・・(中略)母は、あなたを誇りに思います。私たちのもとに生まれてきてくれたこと、ありがとう(後略)」
同じ母の立場としてその心情が切々と伝わってきて涙が次々と溢れてきた。
翌日の東京新聞の一面に前文とエピソードが載せられていてまたまた涙した。
地元が好きで陸前高田市の臨時職員をしていて、4月から本採用が決まっていたという「浅沼健(たける)さん、当時25歳」。長男とほぼ同じ年なので自分に置き換えると私は耐えられないなと思う。
ミキ子さんは夢枕に健さんの声「海から高台に向かう避難道路にハナミズキを植えて!」と聞いた。息子の願いと感じて、その実現に向けて「ハナミズキの道の会」を立ち上げ、その署名は5000筆を超えたそうだ。また、絵本「ハナミズキのみち」も出版し、反響が多く、4刷を重ねているとあった。
是非、実現させていただきたい。なんらかの方法で私も協力したいと今、思っている。
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