松本城
国宝。現存する木造天守では日本最古。400年余り前に築造。秀吉の家臣、石川数正が初代城主。以後、石川家を含む6家23代がこの城を守ってきた。
開場時間は8:30。まだ30分もある。入口付近の黒門には列ができていた。そのせいか?8:00に開場が始まった。入口では靴を脱いで上がる。その時点から、階段は相当に高さがあり登るのに少々苦労する。城中の階段もほぼ同じように高さがあり、やはり敵が攻めて来たときの対策なのかな?年を取った者には利用時に大変だったろうな~と思いやった。さすがに中に立つ柱はどれも太く立派。城中は暗い。しかし、開け放った窓?(呼び方がわからないのであしからず)のおかげで涼しい。さすがに天守閣の階は風がよくとおり天然クーラーで気持ちがよかった。
観終わって外に出るころには完全に晴れ渡っていた。あらためて、お城ってきれいな造りだな~と感じるとともに、現代のようなコンピューターや建築用具もなかった時代によくもこんな大きなものを建てたものだと昔の人々に感心した。
次は歩いて数分のところにある旧開智学校を訪れてみた。
旧・開智学校
重要文化財。明治6年に開校した日本最古の小学校。文明開化政策を推し進めた筑摩県参事(知事)永山盛輝が計画、地元の大工棟梁・立石清重が設計・施工したとある。立石は東京・横浜の西洋建築を見学、建築にあたった。和風と洋風が混ざり合った擬洋風建築の校舎となった。
瀟洒な白い建物。確かに完全に西洋建築ではないデザインだ。特に風見を配した塔が印象的。中に入ると懐かしい教室が現れる。

開智学校時代の資料をはじめ明治以降の教科書、学校日誌、卒業証書等教育資料が展示されていた。当時の資料には筆書きが多くみられるがいつ見ても感心するのは達筆であること!時間割には毎日、習字の時間があった!これも納得。そうそう、教室には石版が置かれてあった。ノート代わりとして使ったとあるが、この面積ではそう記録できないと思うし、教科ごとに消すことになると思うのだが、記録としてはどう対処していたのか?疑問だ。
旧開智学校の隣に現・開智小学校があるのだが、正面付近には旧開智学校のデザインを取り入れていたことも印象に残った。
この後、城下町めぐりをした。
街中を流れる女鳥羽川を挟んで、縄手通りと中通りがある。二つの通りを散策した。
縄手通り

通りの入口に派手なカエルの像が!調べると、この地区の商業組合ができた時、かつて女鳥羽川に生息した「カジカガエル」を復活させ、縄手通りを盛り上げようと願いを込めて「カエル大明神」を祀ったことをきっかけにカエルの通りとなったとか!このオブジェは芸大の学生が芸大祭に出品した後寄贈したそうだ。タイトル「カエル侍」。

道の両側には雑貨店や小さなお店が点在。カエルグッズも多く見られた。我が家は猫好き。猫のキーホルダーを手に入れた!
この後、皮が薄くてパリパリ、あんこたっぷりたい焼きを購入。食べ歩きした。
通りの中央付近に立派な「四柱神社」(よはしらじんじゃ)があった。
そこで旅の無事を祈った。続いて、川を挟んだ反対側の中町通りへ。
こちらは雰囲気が変わる。なまこ壁の蔵が立ち並ぶ城下町らしい風情。
山岳地帯の真ん中の盆地にある松本。あちこちに湧き出る名水がある。
さて、11時も過ぎ、そろそろお昼にしようと長野・松本と言えばお蕎麦でしょ?ってわけで、お蕎麦屋を探す。
松本城近くまで戻って見つけた蕎麦屋にて。
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