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2014年10月

2014/10/28

山形の旅③

二日目は蔵王温泉のホテル。かなり古いホテルで特にスキー客を対象にしたホテルと見受けられた。朝はもちろん、夜もバイキング形式の食事って珍しい。山形牛を目の前で焼いて出していてそれだけを山盛りにして持ち帰る男性を見た(*^m^)。もちろん夫の皿にも乗っていた肉。私は山形ならではの玉こんにゃくの煮もの、山形のだし、芋煮をたくさんいただく。初日のホテルもそうだが芋煮はおいしかった!山形の年の行事、巨大な大鍋にクレーンを使って作る「芋煮」会、参加してみたいものだな~。お風呂は乳白色の湯。夜は内風呂、翌朝には露天風呂と入った。雨は朝には上がって、日が昇るにつれきれいな青空が見え、台風一過の秋晴れとなった。

三日目(10月7日)

本来は二日目に「蔵王」にやってきて登山まではいかない付近の散策を計画していたが、三日目の午前にずらした。午後には帰路に着きたいので朝一の8時にホテルをチェックアウト。蔵王中央高原の散策・ハイキングへ出発。

064まずは中央ロープウェイ温泉駅へ。車で3分ほどにあった。始発は8時半。ちょっと待って乗り込むも始発とあって数人の乗客のみ。

070途中、左下を見てくださいのアナウンスが入る。そこには蔵王温泉で有名な「大露天風呂」が見えた。(一度に200人は入れると言う)入っている人が見える。上から覗き見しているのだが、小さすぎて男だか女だかもわからないので安心して欲しい。乗っていた方が、「昨日、私たちも入って来ましたよ!」と言っていた。そう言えばガイドブックに載っていたな!7分で上の「鳥兜駅」に到着。(「スキー場」が一部をしめていた。)

073降りて、ちょっと上に上がると「鳥兜山」(1387m)の頂上展望台。良く晴れて雲も少なく四方が見渡せた。

077いよいよここからハイキング開始。まずは「紅葉峠」へ。現れた林は紅葉真っ盛りで思わず声が出る。

私たちが歩く所は「蔵王中央散策路」。

沼をめぐる1周ほぼ4キロのハイキングコースだ。

「片貝沼」 散策路から少々離れていてわかりづらい。

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うつぼ沼

 茂みに覆われた小さな沼だ。ロープウェイに乗っていた人たちはどこへ行ってしまったのか?私たちが歩いているだけ。熊でも出てきたらどうしようと思うほどの静けさ。

最終地点の

「ドッコ沼」 

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約2時間の朝の散策を楽しんだ後、ここから鳥兜駅に戻るにはスキー場のゲレンデのてっぺんに登るのだ。これが登山のようにきつかった(;´Д`A ```

104ロープウェイ駅で次の発車を待つ間にコーヒーを頂く。目の前には蔵王連山が一望。とっても心寛ぐ時間だった。

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さあ、山形の旅を終えることとなる下りのロープウェイからの眺めを楽しんでいよいよ帰路に着く時が迫る。

いろいろなハプニングが起こった今回の旅だったが、最終日に念願の秋晴れの下、鮮やかな紅葉を愛でることができて良かった。終わりよければすべてよし。山形へはまたいつか訪れたいな~。

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2014/10/24

山形の旅②

ガソリンを満タンにしてホッとして初日のホテルに向かう。「上山温泉」が取れずその他のいくつかの温泉から選んだのは「寒河江(さがえ)温泉」。あまり聞いたことがない地名だ。今回の旅の計画に当たって知ったのは山形にはけっこうたくさんの温泉地があるということ。どこへ行こうと○○温泉があり驚いた!

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2014/10/19

山形の旅①

10月4日(土)午後11時、自宅を出発。東関東自動車道佐倉インターから入り、東北道へ。ノンストップで6時間の道のり。片道500キロはあるのだ。夫婦で交代運転して乗り切ろう!道路は渋滞もなくスムーズに進んだ。さすがに午前2時頃になり眠気がさしてSAで仮眠をとることに。那須高原SAだった。積み込んできた毛布にくるまりすぐに寝入ったようだ。気が付くと朝5時。すぐに携帯で台風情報を得る。山形は今日中はなんとか影響が少ないようだ。すぐに出発。まだ3時間もあるのだ。福島・宮城の道はすごく長く感じた。仙台手前の村田ジャンクションを折れいよいよ「山形自動車道」だ。さすがにお腹が減ってきて、古関PAで朝食をとる。かき揚げそばがおいしかった。山での昼食はカップラーメンは用意があるがもう一品おにぎりが欲しい。インターを降りてから山道が続きそうでコンビニはなさそうで調達をどうしようと思っていたらこの食堂におにぎりのメニューが載っていた。ここで購入し、パックに詰めてもらった。一安心。

安心もつかの間、とんだハプニングが起きた。運転は私がしていた。目視では、月山の登山口に向かうには月山インターを降りると思っていたが、ナビはさらにまっすぐ進むように案内する。疑いながらもしばらく進むが、出てきた標識は「鶴岡・酒田」。出発前に私がナビ設定した際、広域の地図でアバウトに月山付近を指定したことが原因だとわかった。月山インターから先は普通道路でUターンも可能だったから助かる。ひき返したのは良いが、月山インターまで戻ると思いすぎたため、標識ばかり気にして気付いた時は逆に月山インターに入ってしまった。「あ~しまった~~」。次の西川インターまで16キロもある。仕方なくそこまで行ってインターを降り、近場でUターンしまたインターに入る羽目となった。このバッドハプニングのせいでお金も時間も費やして悔しい~。月山インターを降りるとほどなく山道に入り道はくねくね。でもこの辺りから紅葉が見事になってきた。

001_2本日の登山口「姥沢」に午前10時半に到着。予定では遅くとも9時頃のはずが・・・。凄いロスタイムとなった。しかしこの時間帯でもこれから登ろうとする客は結構いた。上を見上げると案の上、雲がかかっていて山筋は良く見えない。まあ、台風が迫っている中、雨が降っていないだけ良しとしようとあきらめた。

004駐車場から10分ほど歩くとリフトがある。計画では登りはその下の登山口から入るつもりで帰りにリフトを利用しようとしていたが、時間が遅くなったこともあり往復リフトを使うことにした。(そうそう、月山は協力金という名目で1名¥200の入山料を徴収していた。ここはそういう意味では先端をいっていると思う)

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15分間のリフトを降り着いたところはリフト上駅。月山の看板がかかっていて皆そこで記念写真を撮っていた。見てのとおり、ものすごいガスがかかっていて先が全然わからない。そんな状態から本格的に登り始めることとなった。

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私たちの前に団体さんが入った為、最初ちょっと渋滞気味。歩いたかと思うと立ち止まることが多く少しイライラとしてしまう。

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歩き始めて30分ほどで「姥ヶ岳」到着。ここまでは比較的緩やかで歩きやすかった。

0155分程休憩をとる。

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そこから、牛首まで(50分)同じような傾斜で登る。

そこからが徐々にきつくなり出した(;;;´Д`)ゝ例により、石や岩がゴロゴロとしてきて歩きにくくなる。特にガスがひどく行く先もはっきりと見えないまま、時々現れる岩に書かれた赤いペンキの→を頼りに黙々と歩く。風も強くなりだし気温も下がってきて二人ともますます無口になっていった。ここはきつくてすごく長く感じたし、登る人より下山してくる人の方が圧倒的に多くなった。頂上が見えないのがネック。もう嫌になってくるほど!頂上からおり始めたと思われる人が「もう少しですよ~、頑張って!」と声をかけてくださったのはありがたかった。ほどなく平らな部分に出てきた。風はものすごい。

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間もなく、ガスの中から山小屋らしき形が見えその端に鳥居も見えてきた。「月山神社」だ。風を避けるためか周りはがっちりと石垣で覆っている。

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まずはお参り。「無事に下山できますように~」

(-人-)<賽銭箱は石で月の形をしてた!>

12時40分。ここで昼食をとることにする。とにかく寒くて温かいのものが欲しい。湯を沸かす。

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その間もぶるぶる震えるほど。カップラーメンをすすりホッおにぎりは見事につぶれていた。コーヒーを入れるもどんどん冷めていってしまう。バーナーはやかんを下した後も手を温めるためにつけておいた。ちょっと雨が降り出した。やはり来たか~!うっ、雨じゃないみぞれみたい。どおりで寒いはずだ。

寒さと雨が本格的に降り出す前に下山したい。そんな思いが先走ってしまい、月山頂上(ちなみに標高1979m)の標識や三角点を確認しないまま下山してしまったことに後で気が付く。これまた、やってしまった(;´д`)トホホ…。TVで胎内岩がありそれもくぐる体験をしたいと思っていたのに冷たい風のせいで頭から吹き飛んでしまったようだ。午後1時半近くに下山を始めた。

みぞれはすぐ止んだ。そんなとき、雲が切れて一瞬だが神社の下の景色が見えた。

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ガスはどんどんひどくなって下山途中は視界5メートルくらいまでになった時もあった。帰りはとにかく急ぐ急ぐ。下山したのは3時半。ガスのせいで上から下までぐっしょりしていた。

ここでまたまた問題発覚。ガソリンがだいぶ少なくなっている事。ナビで付近のGSを探すも見当たらない。山の中だから当たり前なのだが・・・。本日の宿までは国道を利用しGSを探しながら行くことにする。でもそれまで持つかがすごく不安。下り坂はなるべくエンジンブレーキを使用するように努めエコ運転を心がけて・・・。ハラハラドキドキ。山中でガス欠したらどうしよう??ネガティブなことばかり考えてしまう。ガソリン表示がついに縦棒一本になった時は神様に祈った。街中のバイパスに出てようやくGSの看板が目に付いた時は感激。助かった~!山形のガソリン料金は結構高かったがとにかく満タンにして宿に向かった。ちょうどその時から雨が本格的に降り出してきた。早く宿について熱い温泉につかりた~い。午後5時前にやっと到着した。

旅の初日はとにかくバタバタ、ハラハラな一日だった。体の疲れより精神的な疲れが大いに増した日となった。

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2014/10/14

2014 秋の旅 山形へ

2013年、夫婦で出かける秋の旅を始めた。昨年は復興支援も兼ねて「福島県」へ。会津・「磐梯山登山」を含めた裏磐梯。シーズンを避けた紅葉にはちょっと早い時期に出かけた。

今年は旅行貯金をしてきた。今年も登山を含めた旅でお目当ての山の紅葉シーズンに合わせて出かけた。その行き先は?山形県。以前記事にした「山形弾丸旅」(鉄道利用)を6月に行ってきたばかりだが、山形には宿泊していない。友人・知人から「山形の温泉はいいよ~」とけっこう聞かされていて今度こそは山形の温泉につかりたいと思ったのだ。

そこで山形の温泉に入り、山形の山に登るということを条件に旅計画を立てた。

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10月5日~10月7日、月山登山を含めて寒河江温泉、蔵王温泉に泊まるたびに出かけてきた。(本来は「上山温泉」が希望だったが予約が取れなかった)

台風18号が迫ってくる中、大急ぎでの登山に、中日は雨ザーザー、最終日は台風一過の青空の下の紅葉散策。と、三日間が変化に富んだ旅となった。

詳細は後の記事で!(=゜ω゜)ノ

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御嶽山噴火で考えたこと

戦後の噴火による過去最多の犠牲者を出した御嶽山。すでに2週間を過ぎ、いまだに行方不明者が7人。火山の状況や天候に左右され思うように捜索ができないことも多く嘆息が漏れてしまう。

噴火により不意に旅だってしまった犠牲者の方々には心よりお悔やみ申し上げます。また、連日、捜索に携わって疲れも溜まってきているだろうと思われる警察・消防・自衛隊の方々にも大変感謝するとともにご苦労様と申し上げます。

昨年から登山を始めた私。山は危険を伴う趣味だとは認識しているつもりだったが、あらためて日本の山には火山が多く、今も活発に活動していることを思い知らされた。9月中旬に登った「茶臼岳」も小規模ながら噴煙をあげていたが、すぐに噴火に結びつくなどと思いもせず気楽にその脇を歩いてきたばかり。今考えると、噴火する山が違っていれば私こそ犠牲になったかもしれなかったのだ。

かといって、登山の趣味を辞めようとはいま現在考えられない。これからは今まで以上に覚悟を持って登山をしなければいけないと心した。

それとは別に、今回の捜索に当たり、噴火当時に御嶽山に入山している方の情報・人数などが把握できていないという重大な問題も発覚した。
登山を始めた時、「登山届」を書き提出するようにどの登山ブックにも書かれていたので書くことは当然のことだと思っていた。が、報道によると「登山届」は任意だと知った。登る前には必ず「登山届」を書いて持って行ったが、山により「登山届」のポストの有無があった。
「登山届」を出した後、下山した時も同じ場所だった時、出した「「登山届」をポストから抜いたこともある(ポストに鍵が無く開け閉め自由)。北アルプスだけは遭難事故が多くなったため「登山届」は義務で「下山届」も出すように義務付けられているという。

面倒だとか、個人情報が漏れるという理由で出さない人が多いとか!しかし、自分自身の生命がかかることだし、捜索上も助かるものだ(ルートや大体の時間の目安、携帯番号等を記入のため)。

登山ブームで中高年や山ガールも増えている。いざと言う時のため「登山届」を出すことを義務付けすべきだと思うし、無事下山しましたという「下山届」も併せて出すようにすべきだ。そうすれば、捜索の範囲が絞られ、機動に早く取り掛かれると思うのだ。

まとめると、登山者は登山者としてのモラルを持ち、ある程度の覚悟の上に登山する事。
また、行政側は「登山届」「下山届」を義務付けるとともに、登山は危険を伴うということの警鐘を鳴らす。

今回の噴火をきっかけに自分なりに「登山」に対して考えてみた。

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