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2019年10月

2019/10/31

ヒナ、天国へ 《 愛猫の死》

我が家の猫がまた逝ってしまった。

10/18早朝に長男に起こされた。

「ヒナが死んだみたい!」

すぐとび起きてヒナのところへ行った。目を開けたまま、体を丸くして…

長男はヒナが心配になり(予感がした?)寄添って寝ていたという。

「ヒナ〜ヒナコ〜」何度か呼んで体を触っても答えないし動きもしない。

実はその4日前から具合が悪くて余り動かなくなっていた。今年に入って痩せてきていたので動物病院で調べてもらうと腎臓がかなり悪いと判明。即日、入院した。治療の結果、すこぶる回復し食欲も出て3日で退院できた。その後は週に1〜2度の輸液の皮下注射治療を続けてきた。実はもう一匹、ナッチというオス猫も歯肉炎、口内炎がひどくて食べられないためにゲキ痩せしたので同じように調べるとこの猫も腎臓が悪かった。でも入院するほどではなかったが、ヒナと同じ治療をすることとなり、常に2匹を病院に連れて行かねばならなかった。週に1〜2回通うのも時間とお金がかかりしんどい!実はこの治療方法はレクチャーを受けマスターすれば自宅での治療も可能で背に腹は変えられないと思い切ってレクチャーを夫婦で受けた。かわいがっている猫に皮下とは言え、注射するのは本当に勇気がいる。一度のレクチャーでは上手くいかず再度受けて漸く要領を得て自宅で行いはじめた。時間の制約も無くなり、出費も激減し大いに助かる。

とは言っても腎臓病の治療は回復する事は不可能で延命治療となるのだ。猫の死因には腎臓病が圧倒的に多いそうだ。

具合の悪いヒナを診察した医師は触手で腎臓の片方は完全に小さくなっているしもう片方は変形していると言った。熱もあり、注射をし薬も飲ましてくれた。

その後、ヒナはほとんど動かない。一日、同じ場所に寝ている。こころなし息が荒い気がした。もちろん食べていない。

前日の夜、薬を飲ませようと口を開けさせたとき、突然けいれんを起こした。その時の目が怖かった!慌ててしまい、私もチョッとパニックになった。どうしよう、どうしたらいいの??とりあえず、薬を飲ますのは止めて、💉で水を飲ませた。そのせいかは分からないがけいれんが止まりとりあえずホッとした。夫が泊まりの日でベッドが空いていたのでそこに毛布をかけて寝かせた。静かに休ませるため他の猫が出入りできないようにした。明日は休みだから再度、病院へ連れて行こうと考えていた矢先だったのだが、間に合わず、その早朝に静かに逝ってしまった。推定9歳。

ヒナ、看取ってあげられずごめんね〜〜急患で医師に見せる事もしないで逝かせてしまった事が悔やまれる。

ヒナ、本当にごめんなさい🙏🙏🙏

でも今は楽になったかな?

もうすぐ大好きで仲良しだったクロ、

そしてヒナが育てた義理?!の息子シッポにも会えるからねッ!

みんなで仲良く暮らしてくださいね。

そして、あらためて  ありがとうm(_ _)m

肩が好きでよく乗っかってきたヒナ

膝も大好き、座ると我先にと乗ってきたヒナ

そして寒い日には必ず布団にもぐってきて私の上腕を枕にして眠るヒナ

いつまでもいつまでも、忘れないからね〜〜。:゚(;´∩`;)゚:。

安らかに眠れ!

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2019/10/28

「松戸の湯」で会った方からのい〜〜話

前回の記事で書いた「松戸の湯」で会った方から聞いたとても感動的な話を紹介します!

その女性のお名前をお聞きするのを忘れてしまった事は残念だ。歳の頃は60〜70歳位。

そもそもその風呂に入る際、「断水してないんですけど、本日、八街のボランティア活動をしてきたのでいいかな?と思いこちらのお風呂に入りにきたんです。」と、言い訳をした。その方は「私も同じです。今日は倒木の片づけでチェーンソーまで使わされました。ボランティアは毎日参加してます。」「ここのお風呂は気に入ってしまい一週間ほど通い詰めてます。」

毎日、ボランティア活動に参加するとは素晴らしい!私が感心すると彼女が話しだした。

彼女の住む松林地区にある少年サッカーチームは以前から塩釜の少年サッカーチームと交流(想像するに塩釜から八街に移り住んだか八街から塩釜に移り住んだか何かしらの関係があり交流するきっかけになったのだろう)があった。その後、2011年の東日本大震災が起こった。塩釜の少年からメールか電話かで八街の少年にお腹が空いたと訴えてきた。それをその親に伝えた。少年たちの親同士がそれに答えようと食べ物をはじめ物資を集め始めた。その情報が地域に口コミで広がり地域上げての支援になり塩釜に運んだ。その支援は何度か繰り返された。そうして、八街と塩釜の交流は地域間になり「行ったり来たり」交流と言う絆が生まれたそうだ。

交流の中で塩釜の福祉協議会か、ボランティア活動団体かの副会長をされているその道では経験豊富なリーダーさんを知り個人的にもすごく親しくなった方だそうだが、今回の台風15号にひどい災害を被った千葉県、特に交流のある八街も被害を受けた。そのリーダー、Aさんはいてもたっても居られなくなり即日、奥さんを伴い支援物資も車いっぱいに積んで八街を来訪。特にボランティアセンターを立ち上げる不慣れな八街福祉協議会を指導しに来てくれたそうだ。実はAさんは近年、ガンを患い闘病中だそうで体も痩せてきている中、体を押してわざわざ出向いて来てくれた方だった。

八街福祉協議会への指導は自費の泊りがけで3日間。おかげで被害を受けた4日後、9/13にはボランティアセンターを立ち上げるられた。

私が初めて八街のボランティアセンターに行った時に感じた八街が災害を受けて初めてのセンター運営が慣れている様はそんな素敵なエピソードがあったからだとわかった!

何度か被災地に出向いて、ボランティア団体に入られている方(9/29に一緒にビニールハウスの解体のボランティア活動された人)が同じように八街ボランティアセンターのスタッフや運営はスムーズで慣れている感を感じたとおっしゃった。

ボランティア活動を終え、センターに戻ったボランティアに対して大きな声で「ご苦労様です!」と気持ちよく迎えてくれるのもきっとAさんから教えられた一端かもしれない。

とても貴重で素敵なエピソードを教えてくださった《「松戸の湯」でお会いした方》にも感謝したい。

「松戸の湯」に入りに行った事は見聞を広めると同時に素敵な話を聞けたことで、体だけでなく私の心もすごく暖められた。



2019/10/22

自衛隊のお風呂「松戸の湯」

台風15号のもたらした災害で八街も被害を受けた。一番大変だった一つは長引く停電だった。最終的に解消したのは9月末くらいと聞く。上水道をひいているのは新興住宅地であとは井戸水が殆どだとか…井戸水は電気の力で上げるため停電になると断水してしまうのだ。幸い我が家は停電もなく助かった。そこで自衛隊の持つ入浴施設の登場となった!市の図書館、公民館の駐車場スペースに9月中旬に設置されたと聞いた。後日、河野太郎防衛大臣が視察に訪れたとニュースで知った!時折、図書館の前の道路を通ると「松戸の湯」という旗が挙がっているのを見た。何故に松戸の湯と言うのか?それは松戸駐屯地から派遣されたからだと後で知った。利用者は断水で入浴できない人が対象だと思っていた。もちろん原則はそうに違いない。ところが9/22に一緒にボランティア活動した方がそのお風呂に入ってきたと言ったのだ!えっ、とビックリ?何でも入るのに証明は要らないとか…冥土の土産かに災害時に観た自衛隊の風呂に入って見聞を広げたいからとの事。そう聞いても被害を受けていない私は後ろめたさで入れないと思う半分、地の持つミーハーの性分から凄く入ってみたい気が強くなる。

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ボランティアセンターのスタッフに聞いてみた。「自衛隊のお風呂って災害を受けた人以外でも利用できるんですか?」返事はいいんですよと。やった〜〜そうと聞いたら本日実行するぞ〰🤸

ボランティア活動したその夜、家族を誘うと皆、吊れない返事だ。こうなったら私ひとりで決行してやるーー〜

と言う訳で出かけた。すると「本当にやっているの」と思うほど駐車場に🚙が2台しかない。でもその施設からは灯りが漏れていた。恐る恐る近づくと自衛隊員さんが入口に立っていた!お邪魔しまーすと「松戸の湯」の暖簾をくぐる。


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中に入ると一人の方が入っていた。こんばんはーと挨拶をして横に座って体を洗い始めた。

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その方とのお話はとても素敵で貴重なエピソードなので新たに記事にしますので…

写真は上から

脱衣所、湯船、ふれあい?ノート、冷たい水飲み場、かわいい女性の隊員さん←「ご苦労様、そしてありがとう♥」

一時は混んでシャワー等2人で共用するほどだったと聞いていたが、停電は解消されてきたということなのかな?こんな設備の良いお風呂、もっと利用して欲しい! 

利用者があろうと無かろうと定時までは勤めてくれる自衛隊員さん等に申し訳ない気が凄くした。

自衛隊の皆さんにあらためて感謝したい!

ありがとう、ありがとう、ありがとう

m(_ _)m    m(_ _)m   m(_ _)m

最後の八街災害ボランティア活動

八街のボランティア募集は9月30日(月)までだった。最後の奉仕に9/29(日)に参加した。その日は農業用ハウスの解体の依頼。女性でもできる仕事との事。後から来た女性と一緒に私の🚗で向かう。実は第1陣で2名の女性がいらした。依頼主から作業内容を聞いて用具を借り、更に先にいらした方がその要領を説明してくれ開始。まずは中途半端に付いているビニールハウスのビニールの取り外し。ビニールハウスって意外としっかり作られているのを知った。1番下にビニールをシッカリ留めているウネウネしたワイヤーを横に引っ張って外す。外すときは結構力が必要だが一旦外れるとスーっと引き抜けた。それが快感に感じた。その丈夫そうなハウスが横風でひしゃげられている。意外と新しいハウスの方がその被害に合いやすかったという。密閉性が仇となったのだろうか?昼になり休憩時間。先にいらした女性の内1名が午前で帰られ、残った方とお話しした。相馬とか書かれた紺の法被風な物を着ていらしたので「福島からいらしたんですか?」と尋ねると「いいえ、東京からです!」との事。なぜ相馬なのかを尋ねると今現在も定期的にボランティア活動に行くそうだ。どんな作業かというと、年寄りの多い地区で色々な日常に必要な要望にその都度答えているそうだ。聞くと、熊本、広島等のボランティアもされたそうで何かボランティア団体に入られているとの事。素晴らしい!山武市のボランティアも今回されたそうで、八街の福士協議会のボランティアセンタースタッフは手馴れた感があったそう!八街が災害に合うのは初めてなのに??なぜ(?_?)

実はこれには私はある方からそのいきさつを聞いていてその方に伝えた。そのいきさつは新たに後日談として記事にあげるつもりだ。しばしお待ちくださいね〰

午後も午前と同じ作業をして今度はいよいよハウスの骨組みを留めている器具の取り外しに入った。金槌を用いトントンカンカンにぎやかな響きが始まった。釘では無いので反対側から打てばスポンと外れてこれまた爽快感がある。午後3時半を過ぎてボランティアセンターに帰る時間となる。まだまだやる仕事は残されているのに…後ろ髪惹かれつつ依頼主に挨拶をして帰る。その際、依頼主が感謝と共に養鶏場(卵を生産している)の新鮮な赤玉子と栽培されているオクラをくださった!!大したことしてないし災害に合われて大変なのに丁寧な対応にこちらも恐縮だ。私の🚗でセンターへ。いつもそうなのだが、センタースタッフは帰ってくると大きな声で「お帰りなさい、ご苦労さま〰」と気持ちよく迎えてくれる。そして、ねぎらいのお菓子や飲み物も差し出す。チョッと休憩したあとグループは解散。その日は誰かが差し入れしてくれた手作りカステラがありそれまで頂いた。その後、グループは解散した。あるスタッフに尋ねてみた!

「明日でボランティアセンターは終わるけどまだボランティアして欲しい方はたくさんいると思いますが、それ以降はどうするのですか?」

その返答はこうだった。

「登録されている市内のボランティアさんに電話をして、都合を伺い依頼します。」とのことでした。私はある程度は納得した。

帰りに相馬の法被を着ていたSさん(既に着替えされていたが)に駅まで送ると声をかけた。「昨日より一本早い電車に乗れるわ。」と喜んでくださったことは嬉しかった。これからもボランティア活動、気をつけて頑張って欲しいと願う。

2019/10/21

青森の旅に出ています!

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10/21の月曜日、本日は十和田湖の奥入瀬渓流を歩きました!

この旅の記事は後日アップします!

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