日記・コラム・つぶやき

2009/04/11

母の会(3月) 

先日の母の会の様子を記事にしてみる。

千葉市立tulip花の美術館clover

中学時代の同級生から花の美術館の無料券を頂いた。丁度、千葉市で母の会があるので皆に声をかけ行くことになった。私以外は皆千葉市に住んでいるがしばらく行っていないというからちょうど良かった。私はこの美術館を知っていたが訪れるのは初めてだった。

rvcar出しをする私が一人づつ家を回り皆を拾い、美術館に向かった。その場所はかつて私たちが子供を連れて遊ばせた稲毛海岸公園に隣接している。その当時はこの建物はまだできていなかった。

想像していたよりも立派な造りだった。外庭はちょうど花の入れ替え時期か一部だけパンジーやビオラが植えられているだけだったが、館内は寄せ植えが見事で花の香りが漂うほどで感激。この写真の他に水仙ゾーンや亜熱帯植物ゾーンもあり楽しめた。

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このあと、ちょっとティーブレイクをして、フルタイムで働き夜の部で合流する友人を拾って、お楽しみのディナーへ。

京成千葉駅の「ミラマーレ京成」(ホテルと映画館、飲食街のビル)内にある会席料理店<光庵>。店内の感じはシックでモダンな感じ。高いのでは?と心配になるが気を利かした幹事さんが一番安いコースを予約したとのこと。個人の客はまばらだったが、奥の団体席の部屋からは賑やかな声が聞こえてきていた。

いよいよ食事が運ばれてきた。日本食って見た目も美しいから素晴らしい。

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色どりもきれいで、どれも旬の食材が多く使われている。まさに春御膳というかんじ。おしゃべりしながら目と口で味わう幸せな時を過ごした。

この夜は千葉県知事選挙投票日の最終前夜というせいか、外から声をからして最後のお願いをする立候補者の声が少々やかましかった。森田健作候補は本人自身が声をからし訴えている声を聞いた。私自身は森田候補は入れるつもりはないが、ふさわしい人が選ばれるとよいな~と思っていたが・・・(この記事を書く以前に結果は出てしまっているthink

そして、二次会は誰言わずともカラオケ店へ。皆、歌うことが大好きであっという間に予約が埋まってしまうほど。この場で日頃のうっぷん?を晴らすのだ。2時間はあっという間に過ぎてしまうbearing 次回の期日と幹事を確認してお開きとなったnightend

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2009/04/09

母の会

 お花見とは前後するが、3月末に「母の会」に参加した。年3~4回、開かれ楽しいひと時を過ごす。

母の会」とは? 話せば長いのだが、千葉市内に住んでいた時の友人たちと会い、飲んだり食べたりおしゃべりし、二次会はカラオケをする会なのだ。

長男が小さい頃、公団住宅に住んでいた。その時、長男を遊ばせる公園で知り合ったお母さんたち、特に第一子が同い年のものが仲良くなった。それからは毎日顔を合わせ、どこかに出かけると言えば皆で一緒に行動した。ママちゃりに子供を乗せスーパーの買出し(特に紙おむつの特売は必須)、海浜公園にお弁当を持って出かけたり・・・。雨の日は持ち回りで我が家を提供。その際には一品持ち寄りで集まったものだ。

幼稚園はどこに入れよう?って頃に皆で相談。手作りでキメの細かい指導をしてくれる幼児教室を敢えて選び通わせたことも懐かしい。自主運営で小規模だったから母親も行事に参加させられることも多かった。資金を得るために団地祭では手作り作品を強制的に出品させられるため不器用な私は苦労したものだ。おかげで幼児教室に通う幼児の母親同志のコミュニケーションもけっこう密になり皆友達になった。

そんな楽しい日々は過ぎて、仲の良い友人たちもみな第二子、三子と家族が増えたことやバブル期でもあったこと、ご主人の転勤等もありひとり、またひとりと団地を後にする。我が家も主人の親との同居のため、戸建住宅を購入。幼児教室も中途で退室することになった。あの時の子たちが二十歳を迎えている。6組中5組が引っ越した。2組は遠方へ。2組は同じ千葉市内。そして、私は同じ県内の八街に住んでいる。

引っ越した後も遠方の組を除いて、持ち回りで家を提供し子供も交え定期的に会っていた。かつての雨に日のように、一品持ち寄りで・・・。子供たちが中学生になると部活動があり会えなくなってきた。子供も手を離れたこともあり、それからは母親だけで会うようになっていった。その時に私の手帳に勝手に「○月○日、幸町(団地名から取った)母の会」と次回の予定を記入していた。ある時、それを見た友人が「会に名前があった方がいいね!それにしようよshine」というわけで私がひそかに付けていた会の名が採用されることになった。

「母の会」になってからでもすでに8年。よく続いているgood!「母の会」になってからは主に昼から夜の部beerbarrestaurant&karaokeに移り、楽しんでいる。できるだけ、続けていきたいと思っている。

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2009/01/20

喫茶店「森の時計」

正月の三が日が過ぎたころ、読売新聞の社会面に「並んで並んで」という世相を映し出す行列をテーマとして8回にわたってその人間模様を取り上げた記事が連載されていた。

私が通う(全く上達してないcrying)英会話教室の講師Peterニューヨーク育ち)<*昨年11月で契約が終了。他の語学学校に行かれた>が言うには、行列をしてまで食事をする日本人が信じられないと言っていたのを思い出す。向こうでは予約をするのが一般的らしい。

Mori_no_tokei 話を元に戻して、その最終回を読んで泣けた。さらに並んで入った店の名「森の時計」とありどこかで聞いた気がして、ハッと思いだした。記事の中で「TVドラマのロケとして作られ、終了後一般向けにオープンした」とあり、ネットで調べると倉本聡原作の富良野を舞台にしたドラマ「優しい時間」の中の主人公が経営する喫茶店「森の時計」だったのだ。

ブログを始めたころ見てはまっていたドラマで、その記事も書いている。

2005年3月11日「優しい時間

http://tyui-kal.cocolog-nifty.com/hinatabokko/2005/03/index.html

再度話を戻す(すいません、脱線ばかりで)。その新聞の内容はこうだ!

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2008/05/31

雨中の御礼参りと寄席見物

 久々の平日の仕事休みの日、あいにくの雨だったが、湯島天神へ遅いお礼参り(1月に次男の高校合格を願って参拝。その後希望校に合格、入学)に出かけた。千葉の田舎から東京へ出るのは容易でない。なかなか都合の良い日がなくこんな遅い時期となってしまった。

八街かDsc00120_2ら車rvcarで京成佐倉まで行き、そこから電車trainで終点の上野へ。駅を出ると上野の広小路も傘rainの波。おまけに気温が低く、梅雨入り宣言はまだないがすでに梅雨入りした気配だ。そこから湯島天神までは歩いて10分ほどで着くのだが、今回で4度目の訪問なのでお上りさんでも迷うことなく歩ける。途中、不忍池沿いを歩くが、蓮の葉がずいぶんと大きく青々としていて夏の間近を感じた。Dsc00117

いつものように男坂を上って、天神様の正面横に出た。こんな雨のこんな時期に湯島天神を訪れる人も少なく、貸切状態で参拝した。もちろん、お礼が遅くなったことも天神様に謝って・・・。

今回はお礼ということで何も買わずに来た道を戻る。雨で濡れた男坂を降りるのは滑りやすそうで慎重になった。でも、濡れた階段の石が風情があDsc00119って素敵に感じた。

さて、私の性格からわざわざ東京まで出てきてすぐ帰るわけがない。実はもう一つ目的があった。実は美術館での展覧会等で上野には何度も来ているのだが、そのたびに広小路を通ると気になっていたのが寄席の「鈴本演芸場」なのだ。今日は夕方の仕事がないので時間を気にせず、「寄席」の昼の部を堪能したいと思っていた。昼の部の時間は12:30~4:30。確か寄席では中でお弁当を食べながら見られると聞いていたから、場内のお弁当も買って食べながら見ようと楽しみにしてた。ところが、入口のチケット売り場に「弁当完売」と書かれていて残念。「他で買って持ち込んでいいのですか?」と聞くと「構いません。」とのことで安心した。幸い、すぐ先に「コンビニ」がありそこでお弁当は調達した。さあ、いよいよ「寄席」の初体験だ。わくわくして、場内へ向かった。

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2008/05/04

旧友と

訪問してくださった皆様へ

ブログをほぼ1か月余りも休んでしまいましたwobbly。3年も続けると話題が季節ごとにダブルことも出てきて同じ話題は避けたいという思いからついつい順送りしていたらこんなに空いてしまったしだい・・・emptyshockおまけに頂いたコメントの返しも滞ったまま、重ね重ねたいへん申し訳ありません<(_ _;)>!!!

旧友と

 昨年の同窓会をきっかけに中学時代のクラスメイトとの交流が?十年ぶりに復活している。今日はその後二度目の再会の日だった。

5/3(土)。天気は朝からあいにくの雨rainだがやっと合わせた日程だからキャンセルはせずに旧友との約束の場所(実家方面、袖ヶ浦市)へrvcarで向かう。大まかな予定は立てていたが、本降りの雨のため散策などは中止。急きょ、今回企画してくれた友のお薦め和食店(木更津市内)に向かう。お店の開店時間には早いがそこは女ばかり。車の中でしばしおしゃべり。30分はアッと言う間だった。

季節料理「たく」という店riceballで私たちはその日の一番客となる。ここは靴を脱いで上がるお店。畳敷きだがそこにやや低めのテーブルと椅子に腰かける様式。靴を脱ぐことですごく解放されるし、しびれも切れない。さらにところどころに間仕切りがあるのもうれしい。友の推薦理由は「ここは量が多いのにお値段は安い!」とのことで、

①すき焼き(大きくスライスした牛肉の2枚入り)、②お刺身、③ぶりの照り焼き、④天ぷら(海老2匹、茄子、人参、かき揚げ)、⑤あさりの味噌汁、⑥お漬物、⑦ご飯。最後に⑧コーヒーもついた。

さすがに食べきれない。友の言うようにこれだけで¥1575は安い。店は後から後からお客が入り満席になっていた。そのため仲居さんがてんてこ舞い。内装など落ち着ける雰囲気なのだが、一人の仲居さん、定食屋のおばちゃんという口調でガサガサした感じだったがこれもご愛嬌か?(笑)混んでいて長居は申し訳ないと食事を終えたら店を出た。料理の写真cameraはいつものことながら取り忘れてしまった!weep

続いて、腹ごなしも兼ねて一人の友がショッピングをしたいと提案。その友は最近、働き出して仕事が忙しいらしく買い物ができないとのこと。近場のショッピングモールへ出向く。雨は予報に反してまだ降り続いていた。婦人服売り場あたりをうろつく。見るだけ~と思った私もディスカウント商品t-shirtを購入してしまった。友の買い物が終わり、おいしいお茶cafeでも飲もうと続いてホテルhotelへ。

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2008/03/19

ねんきん特別便

Dsc00057 先日、社会保険庁からこんなものが届いた。なんと例の「ねんきん特別便」だ。

年金問題がヒートアップした昨年、自分も社会保険庁に出向いて調べてもらおうとは思っていた。しかし、その当時はそんな国民が殺到して時間がかかる様子を報道していたから、もう少し経ってから出向こうと思った。もう少し、もう少しと先延ばしにしているうちに元来がのんびりしている性格でして、「喉元過ぎれば」で、いつのまにか調べなければいけないという気持ちが失せてきて、さらにはそのことすら忘れてしまっていた。自分でもいまさらあきれる(><;)!

さっそく封を開けると、厚生労働大臣 舛添要一さんのお詫びの文があり、その一節に「基礎年金番号に結びついていない5000万件の記録の中に、あなたの記録と結び付く可能性のある記録があるため、お送りしています」とあり、び、びっくり!!不明の5000万件の記録の中に私も含まれていたんだ~~。この通知がなければそのまま過ごして、年金支給額がだいぶ減らされるところでしたdespair~~。ふ~・・

金庫から私の年金手帳を取り出し、送られてきた年金記録を照合すると、やっぱり結婚前の記録がすっかり抜けている。すぐさま、そこに印刷されている「ねんきん特別便専用ダイヤル」に電話を入れた。基礎年金番号を聞かれ、旧姓・生年月日を伝えると間もなくすぐに回答があり、以前の記録がすんなり見つかりホッとした。私の場合、すでに記録された中に重複した期間、抜けている期間がなかったのは幸いだった。しかし、厚生年金の他に共済に属していた時期があり、この問い合わせ先とは別に共済組合に問い合わせしなければならなかった。昭和何年からだったかも定かでなく不安に思いながら問い合わせたら、そちらはそちらできちんと管理されていたのですぐ回答が得られた。

昨日、得られた情報を年金加入照会票に記入し、訂正の回答を投函し終わった。

私の場合は不明な箇所もなくすんなり出来たが、この膨大な不明年金記録。まだまだ時間がかかり、さらに解明されないどうしようもない記録も相当残るだろうな~。どうなるんだろうか?

私のようにのんびりとまだ調べていない方、早めに問い合わせた方が良いですよ~!

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2008/03/03

我が家の春?!

予報に反して寒い冬だったが、それも峠を越え千葉では日中、太陽が出ていればガラス越しの部屋は暖房も要らないくらいになってきた。春はもう間近だ!

そんな中、我が家には一足先に春を迎えた家族がいる。千葉の田舎からはるばる湯島天神までお参りした甲斐(これは親のみだけど)があったか?!次男は希望の公立高校に合格した。千葉県では5年ほど前から公立高校を自己推薦で受験する「特色化」制度が始まった。その高校独自の裁量で面接やスピーチ、テストを実施し入学を認める方式の受験だ。その試験がだめでも、ほぼ半月後くらいに今まで通りの一般試験(県内共通問題)も行われる。次男は全く自信がないと騒いでいたが、なんと先の「特色化」受験で合格した。「何で俺が合格できたの?」不思議がる。まあ、昔から次男は運の強いところがあるからねwink!理由はどうあれ、万々歳だ。親としても早めの入学が決まり、精神的に安堵できた。

合格も決まり、家に何人か次男の友達が遊びにやってくるようになった。すると、我が家Dsc00025 のネコcatたちがおかしいsign02まずは白ネコのマロが友達のいる次男の部屋に入りたがる。入れば、その場で腹を見せてゴロンゴロンと寝転がったり、体を摺り寄せるしぐさを繰り返すというのだ。極めつけは変な声で泣き出す。まさか?とは思ったが、本やネットで調べると発情したようだ。我が家のネコは2匹とも♀。生後ほぼ半年。最近のネコは成熟するのも早いらしい。メスの発情につられオスが発情するという。確かに中学生くらいの男の子は新陳代謝も活発で男臭さも発散するが、人間の男臭さに種の違う猫が影響受けるのだろうか?すごく不思議。一緒に生活している次男には発情せずによその男性に刺激を受ける??全く面白い現象だ。これって我が家のネコだけかしら??初日、黒猫のクロはマロの様子にキョトンとしているように見えた。が、友達が何日か通い詰めるようになったら、クロも落ち着きがなくなり盛んに鳴いたり、ゴロンゴロンをするようになった。マロに刺激を受けたか?ずれてその時期が来たかは定かでない。この状態は2~3日続いた。

その後少し落ち着いたが、昨晩あたりからまたクロがおかしい。我が家のネコcatたちにも春cherryblossomが訪れたようだ。

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2008/01/14

願かけ

今年の正月は喪中ということで初詣でも控え静かに過ごした。箱根駅伝も珍しくほぼ全中継を見ていたくらいだ。そんな中、次男の高校受験が間近に迫ってきた。親としては大変心配だが何もできないのが歯痒い。やはり最終手段として神様仏様にすがリたくなるものだろう!喪中なのだが、入試合格の願だけは別に捉え、天国の両親には了承してもらいお参りしたいと考えた。

そこで次男に学業の神様が祭られている「湯島天神」参りを提案した。ところがあっさり断られた。「俺、そんなの信じてないから!」と一笑にふされてしまった(><;)・・・。                実は1年前にも同じことを長男に言われた。長男の大学受験が心配で同じように天神様に願をかけに行こうと提案したら、「行かないよ。」って。兄弟そろって現代っ子というか現実主義でなんだかさびしく味気ない。仕方なく長男になり替わり親がお参りした。お守りと湯島天神の名が入った鉛筆も購入し、試験当日に持たせた。それが功を奏したか長男は現役合格できた。そこでまたお礼参りまで済ました去年だ。私の気持ちとしては去年はお参りしたのに今年も同じようにしないと逆に次男が受験に失敗してしまうのでは?という強迫観念が沸くのだ。かくして、今年も子供になり替わりお参りしてきた。これも親の気休めなのだとは思うが・・・。(苦笑)

湯島天神

Dsc00018 正月の初詣客の足も落ち着いてきたと思われる平日に出かけた。昨年は三が日に訪れたから人手がすごく境内に入るのも入場制限をされて入ったものだったが、さすがにそれほどの参拝客ではなかった。

と言っても、湯島天神の関連グッズ(お守りやお札、絵馬等)を購入する売店は列ができていたが。私は本人の名をDsc00017入れてくれる合格祈願札、試験場に持たせるお守り、定番の絵馬を購入。さっそく代筆で希望校を明記し合格祈願の絵馬をぶら下げた。回りの絵馬を見たら代筆のものがけっこうあった。よく見ると、記入した人の名つまり代筆なら代筆者の名が書かれていた。「息子が希望校に入れますように  母」とか・・・。ひょっとして私間違ったかき方をしてしまったかも・・・(~~;)。本人の名を書いてしまっYusima_bairinたから・・・。いまさら書き直せないのでそのまま置いてきた(笑)

境内の梅林はつぼみも固くまだのようでした。行きも帰りも「男坂」の参道を通った。湯島天神の入口は3か所あるようだが、去年も同じ参道を通ったのでそのジンクスから全く同じ道を選んだ。

その帰Turuseり道沿いにある和菓子屋「つる瀬によってみた。この店はNHKやTBS「はなまるマーケット」で取り上げられたことがあるお店。その情報が貼られてあった。その店で一番の人気商品「ふく梅」と豆大福を購入した。価格は高め。でも、せっかく天神様をお参り」したのだからその記念にと奮発してしまった。中身はこれですよ。ちょうどよい甘さでおいしい一品だった。

Dsc00023 帰って長男に、「去年にならってあなた(長男)の合格にあやかりたいから、次男(○○○)の合格を祈願しに湯島天神に行ってきたよ!」と告げたら、「でもお母さん、俺が高校入試の時は湯島天神に行かなかったよね?」

恐れ入りました!確かにそうだ。長男には親の気休めや浅はかさを見透かれされていた(爆笑)

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2007/12/31

よいお年をお迎えください!

Ico_ani_joyanokane3_2 今年も残すところ、現時点で1時間を切りました。

世間的には今年を象徴する漢字「偽」の年でした。私的にはうれしいこともまた悲しいこともと劇的な1年でありました。

来年は世間的にも、そして私的にも明るい年になって欲しいと願って止みません。

皆さんには今年もコメントを通して、ずいぶんと慰められ勇気づけられました。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

年始は寒波の到来の予想が出されています。寒さの折、おからだご自愛ください。どうぞ、よいお年をお迎えください。

*なお、喪中につき、新年のあいさつは控えさしていただきます。

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2007/12/09

今年の私の重大ニュースは?

年をとる毎に月日の経つのが早い。2007年ももう20日余りとなってしまった!

そこで今年の集大成として、私の重大ニュースはなんだったかを考えてみた。

1、両親の相次ぐ死

2、長男の大学入学

3、今年が最後?!家族旅行

4.新家族、現れる(拾い猫2匹を飼い始める)

5.「生落語を聴く」を初体験!

今年は私にとっては劇的な年だった。特に両親が同じ年に逝ってしまうなんて思ってもいなかった。今は冷静に両親ともに天国で一緒に暮らせて良かったとホッとしている(冷たい人間なんだろうか?親との別れには覚悟があり割と冷静で迎えた私だったから・・・)

皆さんの今年の重大ニュースは何になるんでしょう?

余談ですが、年末恒例の今年を象徴する漢字一字(京都清水寺貫主による)が発表されますが、私は「謝」じゃないかと思うんですが?今年は実にいろんなジャンルの不祥事が起こり、それに伴うお詫び会見が多々ありましたね。でも、心から謝っている人は一体どのくらいいたのだろうか? 謝る姿や言動に納得できないことの多いこと!!(`⌒´#)ムカ!

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2007/12/07

母に続いて父も・・・(ノ_・。)

同窓会が終わった翌々日の夜中、電話が鳴った。兄からだった。父が息を引き取ったとの連絡だった。やっぱり、年内は持ちこたえられなかったのか!94歳。先日誕生日が過ぎたばかりだったのに・・・そのあと、朝まで眠れなかった。

母が今年の1月に突然亡くなってから、ボケが一層増していた。まだらボケでわかる部分とわかっていない部分とがあった。しかし、母が死んだことは理解できぬまま。「遅いな。まだ、○○から帰ってこない。」とよく言っていた。

今年の7月末に発熱があり、調べると肺炎を起こしていた。急を要するというほどでなく安静に過ごすため、そのまま入院となる。暑い夏だから病院の方が涼しくすごせて良いかなと軽く考えていた。ところが、片方が良くなるともう一方にも影が見えるを繰り返し、高齢も手伝ってか医師も慎重でなかなか退院の許可が下りずにいた。入院するまでは杖もつかずになんとか歩けたし、トイレも自分で行けていた父。入院してからは、ベッドに寝かされ、排せつもオムツにされてしまっていた。これでは病気が治ったとしても寝たきりになってしまうと心配だった。暑い夏が終わり、秋が来た。久しぶりに訪れた父は完全に流動食になっていた。それでも食が進まないと点滴を打たれるらしく、あちこちに注射の後の内出血が見えた。この時点では、私の名を告げるとまだちゃんと分っていた。数は多くないがしゃべることもできた。ある時の見舞いで昼時に差し掛かったので、食事を食べさせた。ところがほとんど食べないのにもう沢山と食べてくれない。その後、姉が11月の半ばに訪れたら、父は食事ができず完全に点滴のみの栄養補給ですっかり痩せてしまったから早めに見舞いに行くようにと連絡をもらった。あわてて行ってみると、本当に痩せてしまってびっくり。鼻にチューブはかけられ、口は開いたまま。しゃべることはできず、私の名を告げるとこくりとうなずいたようには見えたが果たして認識できているのかは定かでなかった!腕は骨皮になってしまっていて、点滴注射の後の赤紫のあざがいっそう痛々しく見えた。その見舞いの1週間後に息をひき取った。最期をみとった兄が言うには、苦しまずに静かに逝ったという。それだけでも良かったと思う。

父は教員。小学校の校長も勤めた。すごく勤勉で文武両道。剣道は6段。書道は師範。趣味に和歌を作ったり、絵も描いていた。また、碁も趣味で実家には立派な碁盤と碁石もある。意志も固く、有言実行。煙草や酒も退職後は止めた。また、年は足から衰えると言って、毎日2時間10キロの散歩を欠かさなかった。雨の日も合羽を着て傘をさして出かける姿を覚えている。もちろん、書道を子供や大人たちにも指導した。市の依頼で文化協会の歌詞も作詞、一般市民にも書道を教えた。そんな父は偉大であり、尊敬をしていたが、通夜、葬儀を通じて、父の教え子という方が父が作詞した中学校の楽譜を印刷、拡大して持ってきてくださり、「私は先生を見て、教師を目指しました!」とおっしゃって下さった方があったり、告別式でぜひ弔辞を読ませていただきたいと校長会の代表の方が申し出てくださり父の歩んだ教員生活の様子を伝えてくださり、多くの方に感謝されていることを知って、改めて父の存在の大きさを知った思いだった。

お父さん、本当に今までありがとう。そして、お父さんの生き方はずいぶん他の方へも影響を与えておりすごく立派な人生だったと思います。足元には及ばないけど、子供として近づけるように私も取り組んでいきますね。お母さんに会えて良かったね。どうぞ、安らかに。

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久しぶりの同窓会

ちょっとブログの更新をサボってしまった。立て続けにいろんな事があり、時間が取れなかった。少し間が空いたが、その間に起こったことをぼちぼち書いていこうと思う。

同 窓 会

11月の下旬に、12年ぶりの中学時代の同窓会が開かれた。3年前にクラス会が開かれたがその時は都合で出席できなかったから、今回はぜひ参加したいと楽しみにしていた。

その日に備え、白髪も染め着ていく服や靴、バッグまでも決めていたほど(笑)。当日、在学当時にはなかった道路や建物を、同窓会のはがきにある地図を頼りにやっと辿り着いた。店に入るとき照れくさく、入りづらかった。入ると受付をしているかつての旧友が迎えてくれた。昔の面影のままですぐ誰だかわかった。相手もわかってくれ、「○○ちゃんだよね~」と呼んでくれた。部屋に入ると、もうだいぶ集まっていて三々五々固まっておしゃべりをしていた。それぞれに懐かしい顔が・・・。その当時、仲良くしていた友達のそばに座りたかったが、すでに席が埋まり空いている席に着いた。三年間お世話になった担任の先生も見えてくださっていた。すごくお元気だった。

今回は前回に比べると、参加者も多く特に女性が多かった。皆、子育ても終わり、自分の時間が持てるようになったんだろう。すでに、孫が何人もいる人もあり、時の経過を感じる瞬間だった。孫のいる友は携帯の待ち受け画面が皆、孫の顔だというのも世代と世相を感ずる。私はと言えば人より結婚も出産も遅かったから、待ち受け画面は我が家のネコたちの写真。私もあと数年すれば、孫の顔に変わるのだろうか?(息子が結婚できるかが問題だけど・・・)乾杯の後、一人ひとりの近況を述べる。場を沸かすような人がいないせいか、担任だった先生(お酒が廻っていたかな?)が合いの手を入れるように冗談を言ってくれる。しかし、その話が長くなり、何度か幹事さんが「それは後で個人的に話してください!」と先生を制する場面があり、それはそれでまた爆笑を誘った。その後はそれぞれが自由に歓談。全員と話をすることはなかったが、子育てを終え人生を謳歌している人、離婚をした人、再婚をした人、独身を貫いている人。いろんな人生を歩んでいる。中でも、高校を出て卒業し就職。しかしながら、働きながら夜間の大学を出て資格を取り、公務員になった人。NPO 活動に参加し目覚め、市会議員に立候補、当選2回。市会議員では活動にも限度があり、県議会議員に立候補。しかし、敢え無く落選で今は地道にまだ活動されている人。私の住む隣の市なのに連絡も取っていなかったから全くそんな活動も知らなかった。とにかく皆、自分に叱咤激励して上を目指し頑張っている人もいるんだ。それに引き替え、安住の人生にどっかと座りこんで何もしない人生を送っている自分を反省させられる思いがした。

このあと2次会でカラオケ店へ。意外と大勢が参加して、パーティールームも窮屈。大好きなカラオケでは私は2曲を歌う。部屋内は喫煙でちょっと息苦しく、今夜は実家には泊まらないので途中で退席した。

今回は音信不通になって途絶えていた級友の携帯やアドレス交換ができ、機会を作ってまた会う約束もとれたし、私を感動させてくれた一人の友にも名刺を頂き、ブログも持っていると知りうれしかった。私の手作り(「わかでき」で教わった)名刺を渡したら、さっそく見てくれたようでメールをくれた。もちろん、私も相手のブログを訪れ、書き込みをした。

この人のブログはまた折を見て、改めて紹介しようと思う。

できれば、今度はクラス会か内輪の小さな会で会いたいな。じっくり、ゆっくり話したいから。

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2007/05/13

GWは家族麻雀三昧?!

長男が大学に通うようになって、家族の特に私の1日のサイクルがだいぶ変わってしまいました。2時間以上かけての通学のため、息子を起こし食事を用意、食べさせ送り出すため、早朝ウォーキングが出来ない(;;) 今は家族を全員送り出してからになりました。それでほぼ1ヶ月。それぞれのサイクルも定着し始めたところです。

長男がある日、父親に「麻雀教えてくれない?覚えたいんだけど。」と一言。大学の友達から麻雀の話が出たに違いない!父親はやはり高校、大学時代に麻雀にはまった時期があるらしい。二つ返事で「任せろ!」ってことになり、さっそくネットオークションで麻雀牌とテーブル(折りたたみ)のセットを競り落とし丁度GW前に自宅に届いた!

麻雀はご存知のように4人で行うゲーム。父親と長男だけでは出来ないわけで、母親の私と次男も借り出される。といっても、私も次男もゲームは嫌いではない、むしろ大好き。長男と共に私たちも教わることになる。さあ、一体覚えられたでしょうか?

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2007/05/09

ブログを休んだ訳

一ヶ月、ブログの更新を休みました。ネタ切れ?一言で言えばそうです

一方で、ブログをやり始めてから半年周期くらいに起こる「ブログの意義」への煩悶・・・でもあります。しばらく、携わることを休もうって!

ブログは一般的に簡単ホームページだとか、個人日記だとか言われます。先日の<クローズアップ現代>では月のアクセス数が何万件にも昇ると言うアルファブロガーを取り上げていましたが、別世界の方はともかく、私の中では、常にインターネット上の公開された場なのだからただの個人の日記に終わらせるのではなく、その記事によって問題を投げかけたり、どこかに出かけた旅ではその歴史を自分も勉強し読んでくださる方へも伝えたい、おこがましいかも知れませんがそんな少しでも有意義なブログにしたいと考えているんです。(自己満足かもしれませんが・・・(--;)!

一時ブログ作成にはまったときは、記事のために出かけたり体験したりと言う時期がありました。そしてブログに関わる時間が多くなり、他の時間をおろそかにしてしてしまう事がしばしばでした。そのためやらなけりゃいけない仕事がたまってしまうことも度々でした。

私はこれを仕事にしているわけではない、あくまでも趣味の範囲なのだから!とある時期を境にして反省し、やらなければいけないことを優先し余裕のあるときにブログに携わろうと決心しました。そしてブログのために何かをするのではなく、自分がしたいとおもう事をして何か感ずることがあればブログ記事に取り上げよう!そう考え直しました。

そのため、せっかく私のブログを訪問していただきコメントまで入れてくださるうれしい皆さんへの速いコメント返しや皆さんのブログを訪問がすぐに出来ないことが多くなります。

こんな私のサイクルをご理解頂き、末永く(そうなるかな?)お付き合いくださるようにあらためてお願い申し上げますm(_ _:)m

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2007/03/28

ゴミ拾い

3月8日「ポイ捨てへの嘆き」の記事に書いたように、3月26日にやっと私のウォーキングコースのゴミ拾いを実行しようと出かけた

まずはゴミ拾いに必要な道具を用意して!Hiroidougu さあ、出発。

初めての取り組みで張り切って出たのはいいけれど、これが初心者のアダとなるとは・・・・とほほ(^^;

始めから目に見えるゴミを片っ端から拾いゴミ袋へ入れる・・・コースの前半1/3ほどでゴミの重さが増してきた。これは最後まで取りつづけたら持ち帰れないかも?という心配が頭をよぎる・・・私の歩くコースは行った道を帰ってくるコース。ここで頭を切り替えて折り返し地点を過ぎてから再度拾おうと思った。途中、すれ違った犬の散歩をされているご婦人から「ゴミを拾いながら散歩されてるんですか?ご苦労様。ありがとうございます。」って言われ、うれしいやら照れくさいやら・・・でも、ちょっと前に見た空き缶とかは帰りに拾うつもりで拾わなかったからあの後、犬の散歩中のご婦人はその空き缶を見て「ちゃんと拾ってないんじゃない?」って思うんじゃないかと変な心配の方が大きかった。

だから、行きはどの辺にゴミがあるかを頭に入れながら歩く。そしていよいよ折り返し地点を回り、ゴミ拾い再開。ゴミは空き缶、ペットボトルが多い。ついで、飲料の紙パック、スナック菓子の空き袋、タバコの空き箱、タバコの吸殻。ゴミ袋はどんどん大きくなりやはり心配どおりかなりの重さになってしまった。こうなると、傍らに持つよりサンタクロースのように肩に担いだり、持ち手を変えたりと。それでも、ゴミを拾う間に袋を下に置いて手や肩を休めることを繰り返す。後半はもう「これ以上ゴミは出てこないで!」って祈りつつ・・・。行きはよいよい帰りは怖いとはこのことだと思った。通常歩くだけなら1時間のコースは家に辿りついたときには倍以上の時間がかかった。

初めての収穫?醜穫?はこれ!ヘルスメーターで計ったら6キロ強。重いわけだ~、納得。このゴミを分別してそれぞれの指定袋により分け、指定日にださなけりゃ・・・(><;)本日は疲れてしまったので、後日することにしよう。 Gomiippai       

これを続けることで、少しでもゴミを捨てる人が少なくなればなあと期待しているがどうなることか?しばらくは根気強く試してみようと思っている。

今日の反省点から、日頃歩く時からゴミ袋を持ち歩き、気付いた時にゴミを拾おう。そうすれば持ち帰る時の重さの負担が軽減できるな! 

後、林の奥に投げ込まれたゴミやちょっと低い崖下のゴミは拾えず終い。それは悔いが残るがどうやったら拾えるかな?それはそこだけのゴミを拾う日を決めて決行する方法しかないかな?  

皆さんはその辺に捨てられるゴミを減らす工夫何かなさってますか?名案があったらどうか教えてください。よろしくお願いします<(_ _)>

                       

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能登半島地震

3月25日の「能登半島地震」。3年前の中越地震の際、大規模ながけ崩れで破壊された長岡市の県道(母子3人が車ごと土砂に埋まり、数日後まだ2歳だった男児・優太ちゃんが奇跡的に助かった!あの現場を含む)が2年5ヶ月ぶりに開通したそうで、復興の喜びを地元の方々も感じていただろうと思っていた翌日に、皮肉にも今度は能登半島を大地震が襲った!!

ブログで交流しているやまちゃんのブログ「ようこそ、やまちゃん日記へ」で記事(3/25)にもされてまして、そこに寄せられたげんちゃんと言う方のコメントに「天災は忘れた頃にやってくるではなく、思い出した頃にやってくる」と書かれてあり、なるほどと思ってしまった。

近頃は日本はもとより大地震や異常気象等は世界でも頻繁に起こることが多い。忘れるどころか絶えず天災への脅威を感じさせられているほどだ。なにやら地球全体に不気味ささえ感ずる。

いずれにしても

今回の災害に見舞われた方々へは心よりお見舞い申し上げます

私は救援ボランティアとして参加したいくらいですが、家庭環境から今は無理です。義援金という形での協力しか出来ませんが、どうぞ、復興までがんばってくださいね。

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2007/03/22

思いもかけず「サクラ咲く!」

今日はお墓参り。お墓がちょっと遠方なため、午前中から出かけて帰りがけ昼食を摂り2時近くに帰って来た。

ふと、思い出した。そうだ、今日は国公立後期日程試験の合格発表日だ!こんな大事な日を忘れるとは親子ともどもどうかしてる・・・

実は本人に言わせると、前期日程で落ちてからなんだか落ち込んでいる上、私立も受かったこともありピークを超えてしまいやる気が出ないとこぼしていた。そんな状態で後期日程の試験を受けたのでまあ書くだけは書いたけど自信がない、多分落ちてるって言うことはさんざん聞かされていた。駄目かな?と言う思いも親の方にも起こってしまっていた。

そんなわけで、墓参りに気がいってしまい合格発表を忘れていた。本人も見たくなかったので発表のことは黙っていたみたい。

恐る恐る大学のHPから合格発表のページを辿る・・・・○○○○○○番号は・・・・

「あった~~!!」 「やった~~!!」何度も確認。

本人も驚いている!このところはもうすでに私立大にいくつもりであったため、再度どの大学に行くかを親子で話し合い!難点は通うにはちょっと遠くきつい距離なのだ。話し合いの結果、今日受かった大学へ入学すると決まった。さあ、来週は入学手続きなどでまた忙しくなりそうだ。でも、こればかりはうれしい悲鳴だ。長男よ、良くがんばったこの1年。終わりよければ全て良し!

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2007/03/10

長男の卒業式

長男の卒業式
3月8日に長男の高校の卒業式が行われた。デジカメを家に忘れてしまったため携帯の画像で画素数も少ない上、手ぶれをしてボケボケですが、まあ雰囲気だけでも伝われば良いかと投稿しました。あしからず・・・。

この学校の卒業式は淡々としており音楽での盛り上げ(入退場時の吹奏楽部の演奏のみ)とかそれほどなく、また、来賓の挨拶なども極力少なく、ちょっとあっさりした感はあるが生徒にとっても親にとっても助かった。式次第の中に九十九(つくも)賞という皆勤賞授与があり、358名中64名と言う授与者の数に驚いた上に、さらにその中に12年間(小学校から高校まで)の皆勤者も数名いてその名が呼ばれると思わず会場から拍手が起こった。どうやったら、そんなに丈夫な体にできるのか?親御さんに聞いてみたい気もした。因みにわが息子は高校3年のみは1日も休まず通いましたが・・・。

式も順調に終わり、クラスごとに椅子から一斉に規律する際段上に向かい大声で「ありがとうございました!」と言って退場する様はちょっと感動。経験した卒業式ではこんな光景見たことがなかったから。ここの自由な校風から出たのに違いない。何年前かの先輩がはじめてからそれが伝統になっている気がする。それは、学校側から「ありがとう」を強要するわけはないと思うから。3人目の高校卒業に出席した友人(母親)はこのような退場の例は初めてだといって、やはり感動しているようだった。

ところで、長男の中学3年間も早かったけど、高校の3年間はさらに早い気がした。一応、進学校なので予備校に通わせたかったのだが本人が「うん」と言ってくれず大学受験の勉強も独学となる。親の方はハラハラものだ。高校で定期的に行う模試の結果のみでの志望校選び。親の希望としては収入から考えて下宿は無理。通える範囲で本人の偏差値と照らし合わせ、少し上も目指すようにはしたのだが・・・。とりあえず、私立は偏差値どうり位のところが受かった。しかし、やはり独学のせいか志望した国公立の大学前期は「サクラ散る」、無念(卒業式当日に合格発表有り)。あとは、後期の試験が控えている。でも、受験勉強に取り組む糸が切れたように見える。本人、最近身が入らないと言うのだ。私立でも合格できた事で安堵してしまったようだ。 その気はわからなくもない。だが、最後の最後まで出来るだけのことはして欲しいと願うのだ。

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2007/03/08

「ポイ捨て」への嘆き

讀賣朝刊に5、6日と連日「不正投棄」の記事が載っていた。5日は1面の見出しに「高速道SA ごみの山」、6日3面に「遍路道 ポイ捨て」。<モラルを問う>と言う副題で特集を組んでいるようだ。

高速道路のパーキングエリアに持ち込まれる家庭ごみや粗大ゴミなどの処理費用が約15億6000万と試算された(2005年度)。<東日本・中日本、西日本の高速道路会社>ゴミの持ち帰りを呼びかけているが、有効な防止策がなく利用者のモラルに頼るしかない現状なのだそうだ。

ゴミの分別収集が住宅地で進み、観光地ではゴミの持ち帰り運動が盛んになり、高速道路は「便利なゴミ捨て場」となりつつあるなんて本当に情けない話だ!o(`へ´)o プンプン!!

2001年4月より家電リサイクル法が施行されて以降、家電が投棄されるケースが増加。また、行楽地に向かう途中で家庭ごみを捨てたり、家具等の粗大ゴミを大量に置いていく悪質なケースも目立つようになったそうだ。中には、ペットの死骸、トイレ砂、さらには位牌まで捨てられていたこともあったと言うから、あきれて物が言えない!!

翌6日の「遍路道 ポイ捨て」の記事。遍路の道で人生を見つめ直したい・・・そんな人々が集まる四国八十八箇所の札所巡りに異変が起きているそうだ。ごみを路上にポイ捨てする遍路がいる、山間部の遍路道脇に不法投棄された粗大ゴミが遍路を出迎える。

バーチャルだけど「健康ウォーキング」に登録して、今は四国八十八箇所を歩いている(ただいま伊予の国を遍路?!してます)私としては聞き捨てならない気がするのだ。

お遍路さんブームの中、最近は車で効率よく回る「マイカー遍路」が人気だそうだ。そんな車の中から車中で食べた後のゴミを捨てる者がいるらしい。それを見た人は車中に目をやると白装束の何人かが乗っていたそうなのだ。人生を見つめ直そうとする人が、モラルなくゴミを捨てる現実?真剣な取り組みをする人はそんなことはしないはず。単なるブームで旅行気分での遍路なのだろう!

先日、私はTVでその遍路道を綺麗にしようとする清掃ボランティアたちが、山間部の粗大ゴミを悪い足場の中を回収する姿を見たばかり。彼らは「心の癒しを求めてきたお遍路さんに申し訳ない。不法投棄は本当に恥ずかしい!」そんな思いから活動し始めたそうだ。その輪が広がり、ポイ捨てされた空き缶を自主的に拾い集める遍路たちの活動も広がりつつあるそうだ。それを読んで少しは救われた思いがした。

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2007/02/11

最近の大学入試

我が家の長男は今大学受験シーズン真っ只中。のんびり母にこの子ありと言うほど当人はのんびりとしている。そんな母でさえ動揺しているのに、当人はいたって平静であきらめているのか自信があるのかわからないほど落ち着いてしまっていて、夜中まで勉強なんてやらない!

我が子に関係がない時期には大学入試体制など全く関心がなかったが、長男が関わるようになってやっとその内容を把握しだし、私が受けた頃とは雲泥の差で時代を反映した入試体制になっていることに驚いている。

センター試験制度は実施されて久しいのだが、ちょっと昔の共通一次試験とは違うようだ。今はこの制度を導入している私立大学もずいぶん数が増えている。我が息子もセンターで4校(国立、私立)の受験をしている。私立はこれだけで合否も決まるのだ。

国・公立大学の志望者はセンター試験を受けてからそれぞれの希望する大学の2次試験に当たる前期日程試験に臨む。センター試験の結果を見て、自分の入れそうな大学を選ぶことも可能なのだ。嫌な見方をすれば、駆け引きができるのだ。さらに、前期日程試験で失敗しても、後期日程試験でさらに自分の実力にあった大学を選んで受けることも出来る。受験生にいくつか受けられるよう窓口を広くしてくれているようだ。

さらに国・公立も私立も合格発表はインターネットでも見られるのも時代を感じる。便利になったものだ。ちょっと寂しい気もするが・・・。

我が息子も来月の卒業式までに進路が決まっていると良いのだが・・・これは本人の出来と神のみが知っていることだろう!

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2007/02/05

母の思い出

母が亡くなってほぼ1ヶ月が経った。私の中ではやっと母の死を受け入れられるようになった。この頃、母との思い出がよみがえる。

母は昔から負けず嫌いで何にでもがんばり屋。女学校を出て女子師範学校に行き、小学校の教師になった。私が小学生の頃、母は生徒に出した宿題のノートを家に持ち帰り、夜遅くまで点検をしていた光景が思い出される。印刷をする資料や手紙をガリ版の上でガリガリと音をさせて書いていたのも思い起こされる。

私は3人兄弟の末っ子。一番上の姉とは11歳、兄とは9歳も離れている。実は私と兄との間には別に姉と兄が在った。しかし、姉は事故で、兄は病気で年少の頃に亡くなったそうだ。今思うと両親にとってそれは相当辛い思いだったことだろうと思う。そのため、もうひとり子供が欲しいと私を産んだという。そして、この子だけは丈夫に育って欲しいという願いから健康の康を取って「康子」と言う名を付けたそうだ。

年の離れた終いっ子のせいか、母は私をかわいがってくれた。母はどこへ行くにも私を連れて行った。昔の小学校は日直制度があり、休みの日には当番制で教職員は学校に出た。赴任先の小学校へ良く連れて行って、私は誰もいない教室や廊下、校庭で遊んだものだ。夏休み中の研修先にも連れられ、やはりその学校の校庭で遊んでいたこともある。

バスで通っていた通勤もバイクの免許を取り、50代になってからは自動車免許も取った。その際、私にも取るように促された。私は全然その気は無かったが、母の意気込みに押され一緒に教習所に通ったものだ。結局、私の方が先に卒業したのだが・・・。父も免許を持っていなかったが、やはり、母の勧めで60代で取る事になる。母は車の運転を85歳近くまでしていた。周りが心配して、何とか止めさせ車も廃棄した。その後、亡くなる直前まで「車の運転が出来なくて不便。悔しい。」と言うことは何度も言っていたものだ。

父も教師をしていて、趣味で書道をしていた。退職後、書道塾を開くがその助手に母が借り出された。母は退職後やりたかった洋裁を習いながら、父の助手として役に立つよう書道を習い始めた。努力家の母は、毎晩夜なべして練習を続けアッという間に準師範まで登りつめ、塾長が驚いたそうだ。しかし、もともとそれほど体が丈夫でない母は根をつめる日々が続き体調を崩してしまった。結局、通っていた書道塾を止めることとなる。父の書道塾を手伝う助手としてはそのキャリアを活かし、充分父を助けたと思う。

勝ち気な面ばかりを強調してしまったが、優しい面もあった。花が好きで、庭には花が絶えなかった。私が小学校の頃は庭に咲いた花を切って学校へ持たされたものだ。私自身は花にそれほどの執着があったわけではない。通信簿に「花好きで・・・、教室に花を良く飾ってくれた」などと書かれてあり、そんなわけではないのに!って思ったことがある。また、大の動物好きで我が家では大体犬や猫を飼っていた。また、知らない家の犬や猫でも通りがかるとすぐ触りに行く。私が動物好きなのは母に似たのだと思う。こんなエピソードを思い出す。赴任先の学校で飼われていたサルが檻から逃げ出した。校庭にあるバックネットにつかまっているところを発見された。日頃からサルと仲良しだった母が呼ぶとそばに寄ってきて捕まえられたことがあった。

今思い返せば、手前みそながら偉大な母だったと思う。そんな母に私はずいぶんと反抗し、迷惑ばかりをかける不出来な娘でした。そして、母のがんばりの足元にも及ばない情けない娘でした。せめて母の偉大さに少しでも近づけるよう、気付いたこの瞬間からでも努力して行こうとあらためて反省しています。逃げずに何事にも取り組もう・・そう思っています。

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2007/01/27

皆さん、ご心配をありがとう!

この度は「母の死」の記事を読んでご心配のコメントを残してくださいまして、誠にありがとうございました。あらためて、お礼申し上げます。おひとりおひとりにコメントを返さずこの記事での返信とさせていただくことをご了承くださいませ。

私はもう大丈夫です。母が亡くなって3週間が経過し、心も落ち着きました。母が生存している時にはもし母が亡くなったら自分は取り乱すかも?と思っておりましたが、本当に亡くなってしまったら意外と冷静な自分がいて驚いてます。

今その原因を考えてみると、この2年間毎週一度実家を訪れていたからだろうと思う。ここ数年でずいぶんと弱ってきている両親。短い入院をすることもチョコチョコ出てきた。実家にはスープの冷めない距離に兄夫婦が住んでいるが、兄嫁に全てを任せるのはたいへんだし、両親も嫁に気を使ってしまう。そこで、姉と相談。週に1度、姉妹で違う日に実家を訪れてなにかと世話をしてきた。前記事に書いたように亡くなる前日にも会えた。母とも話をよくしたし。そんな積み重ねがあったから、無念さも少なくて済んだと思われる。

突然の死だったが、寝たきりになりもせず、家族に介護の世話をさせるようなことも無く、本当に綺麗な死に方だったと思う。

「お母さん、本当にありがとう。これからは、私たち兄弟でお母さんの法事ごと、お父さんの面倒を見ますから、安らかに眠ってくださいね!」 そう、母の墓前で祈ってきました。

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2007/01/15

母の死

昨年末に日常の仕事を優先するために思い切ってブログの更新をしばらく休んだ。年が明け、正月気分が抜けた頃に更新を始めようと考えていた。ところがそれどころではなくなってしまう事件が起こった!

子供を連れてデパートに買い物に出ていたら私の携帯に電話が入った!実家からだった。母が湯船の中で意識がない姿で見つかったと言う。「ウソでしょ??あんなに元気だったのに・・・」 救急車で近隣の病院に搬送されていると言う。心臓がドキドキ。いったん我が家に戻り、とりあえず私だけが実家方面に向かう。ひたすら、母の回復を祈りながら。

「昨日はあんなに元気で笑っていたのに・・・?」 実は前日に私は母に会っていた。年始参りに訪れ、それに合わせ姉もやって来た。数年前までは両親と私たち兄弟の家族が集まり新年会を開いていたのだが、両親も高齢になりそれに対応できないだろうとその会も昨年から無くなった。母に気を使わせぬよう、嫁いだ娘がふらりと立ち寄る形にしてのひそやかな年始参りだった。姉は私よりも実家に近いので人足先にやってきて、父を風呂に入れた。その時に母にも入るよう促したのに自分で後で入るからときかなかったのだ。母とはお互いに新年の挨拶を交わした。「今年も宜しくね!」と・・・。心配で向かう途中、姉の携帯に電話する。「お母さん、亡くなっちゃったよ~」と、弱々しい声が聞こえてきた・・・・義姉が施した心臓マッサージ、救急車の中で続けられたと言う救命措置、病院でも続けられただろう電気ショック・・・母はそれに答えることなくあっけなくあの世に旅立ってしまった!

「お母さんの馬鹿~、あの時素直にお風呂に入っていればこんなことにならなかったのに~」 涙がとめどなく溢れてきた。今年の誕生日には兄弟で母の米寿を祝おうと計画していたのに・・・享年87歳だった。

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2006/02/25

私のお雛様

ohinasama ♪灯りをつけましょぼんぼりに~ お花をあげましょ桃の花~♪ この数日、「ひな祭り」のオルゴールをかけながら、お雛様を眺めてます。うれしい至福の時です。

実は私は自分のお雛様がありませんでした。いい年をして、今更「お雛様」が欲しいなんておかしいと思われるかも知れません。毎年この時期になるとお雛様のチラシや買い物に出た先のスーパーの特設展示場などでお雛様を目にするたびに昔ながらの衣装をまとった人形が素敵だなーと感じてはいました。皮肉にも我が家の子供は息子ばかり。こいのぼりはあるけどお雛様はありません。年をとったせい?ここ10年くらい前から自分もお雛様が欲しいな~と強く思うようになってきたんです。でも、その頃は何段飾りとか豪華なものが主流。購入するお金も飾る場所もないし・・・。木目込み人形で手作りする雛人形もあるようでしたが、私は手先が不器用ではたして飾れるものなどできるのか?って思いあきらめてました。ここ数年、何段飾りはすたれ始め、最近はコンパクトに女雛雄雛だけのものが主流になってきて、これなら手ごろな値段で場所も取らないとますます欲しくなってきたんです。そして、昨年のブログ(3月4日付け)←<クリックしてスライドバーをドラッグして一番下の方の記事です>に購入しようか?なんて記事を書いてます。そして、夫の了解も取り、先日勇んで買いに行きました。ピンからキリまであるけど、安くてホコリもかぶりにくいものにしました。展示してある中では一番安いものです。それでも私にとっては充分綺麗だと思うし、満足してます。この年にして初節句を迎えた気分で(爆)毎日「私のお雛様」を眺めていると言うわけです。

*「雛祭り」のオルゴールは購入の際についていた「御名入立札」の裏についていたものです。また、コードが付いていて、ぼんぼりに電気の「灯」も入れられるようになってます。

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2006/02/01

大往生

先週、夫の祖母が亡くなりました。なんと、99歳でした。

今までブログでは一度も紹介していなかったお婆ちゃん。ここ数年は入院や介護施設に入所しておりました。

お婆ちゃんは明治39年6月生まれ。九州生まれ。私は孫の嫁の立場で、あまり詳しくは知りません。何でも若い頃はご主人と台湾で海運業を営んでおり羽振りも良かったと聞いてます。ところが第二次世界大戦が始まり、本土に帰って来て日本の敗北。ご主人と台湾で築いた財産も没収となり、日本では無一文の再スタートとなるわけです。それからはどんな仕事をされたのか私にはわかりません。お婆ちゃんには子供がなく台湾で養女を迎え、それが今は亡き、夫の母です。お婆ちゃんのご主人はその後50代後半に亡くなってます。そして、唯一の養女も若くして癌に侵され、40代でこの世を去りました。私の義母に当たるわけですが、夫と知り合ったときはすでに数年前に他界されており、会った事はありません。

八街に新居を立て、夫の父親、お婆ちゃんとも同居することになりました。私にとっての義父は婿に入った者です。家族の悪口を言いたくありませんが、お婆ちゃんと義父は以前から折り合いが悪い関係でした。なので、子供のないお婆さんの面倒は、孫の嫁の私が見るしかありません。まだ、元気な頃は、2歳前くらいの次男(つまりひ孫)を公園に良く遊びに連れて行ってくれたものでした。手を引いて公園に歩いていく二人の姿は今でも目に浮かびます。

平成18年2月6日(月)追記

お婆ちゃんはたいへんしっかりした人で最後まで呆けることはありませんでした。同居した当時は、80代半ば過ぎでありましたが、新聞を大きな虫めがねで読んでいる光景を目にしました。昔の記憶も鮮明で話もしてくれました。また、足腰も丈夫で、この近辺にはお店がなく1㎞ほどの商店へシルバーカーを押して買い物に出かけてしまいます(いつの間にか出ているので気が付かない事よくありました)。働き者でもあり、自分の部屋はもちろん部屋のそばのトイレまで掃除をしてくれたり、庭の草取り、さらに団地内の道路の草取りまでやってくれて近所の人に感謝されておりました。先日、お婆ちゃんの部屋の整理をしておりましたら、和裁の折りたたみ台のようなものが出てきたし、作ったと見られる着物や浴衣もあkame りました。洋裁もこなしたようでまだ手をつけていない布地が何枚も出てきました。器用な人だったんだと思います。こんな物も出てきました。それは5円玉をきれいな金子の混じった紐であんだおめでたい亀の飾り。まだ、大量の5円玉と使用してない紐もあります。これはお婆ちゃんの形見として部屋に飾っておこう!そう、考えてます。

お婆さんの後年の言葉で私の頭に残っているのは、「生きるってことは辛いことの方が多い。早く死にたいもんだ!」って。お婆ちゃんの人生は確かに波乱万丈。お葬式で集まった親戚の人たちが言うには、このお婆ちゃんはなかなかのしっかり者であったと誰もの口から出てきます今となっては遅いのですが、私ももっとお婆ちゃんの苦労話や人生訓を聞いておけばよかったな、と。話す機会が少なかったととても悔やんでおります。

お婆ちゃん、ごめんなさい!もっとお婆ちゃんの寂しさや苦労を汲んであげて会話をすればよかったね。そして、お婆ちゃんからたくさん教えてもらいたかった!私はそんな余裕もなくて自分の事しか見ていなかったと思います。本当に未熟だったと思います。

これからは、天国で娘さんと旦那さんと心安らかにお過ごしください。お婆ちゃんの偉大さはいつまでも私の心の中に刻んでおきます。

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2005/11/22

ペン回し

次男が中学校に入って早8ヶ月が過ぎた。違う小学校から入ってきた友達も増え、次第にその行動範囲も広がってきている。そうやって交友関係も広がって、その中から親友と呼べる友達を作って欲しいと親の私は思っています。

それとは関係ないけど、中学校に入ってシャーペンを使い出し、私が良く見る光景に右手010419_0722_0001_l__s だけで起用にペンをクルッと回すのを見かけるようになった!中学校で流行ってるらしい

そして、ただ1回転だけでなく、次々と各指を使ってペンを移動させていくという技まで覚えてきていた。授業中の暇なときに回していてできるようになったというが、授業そっちのけでペン回しに集中していたのではないかという疑念は沸くが・・・。また、ペンを何度も落として雑音を出し、先生からお叱りがかからなかったかとも心配する。一応、今日現在まで受け持ちの先生から我が家に電話はかかってきていないが。

先日、インターネット検索で「喫茶店」を探していたときに「ペン・カフェ」なるホームページがありナンだろ?と覗くと、お茶とは全く関係ない「ペン回し」の動画を載せたブログが出てきました。次男のやっていたペン回しってこれなんだって思った。ところが、いろんな技がありそれにそれぞれネーミングが付いているのを知ってその奥の深さに驚き。いろんな世界があるもんだと関心したしだい。

そのブログを覗いてみてください!見事です。それに男性の手にしておくにはもったいないような綺麗な手を持っている方です(笑)リンクされてるHPに海外の方もいましたよ。これ、基本だけどもちょっとできたら、カッコいいかもね!息子の心理がわかりました。

ペン回し喫茶店

http://blog.goo.ne.jp/marosan-1989/c/51c3de0b2b7a0e4d32c2da8ab84c24a9

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2005/11/19

噂のジンギスカンキャラメル

先日、夫が仕事で浅草を訪れると聞いて、真っ先に浮かんできたのが「ジンギスカンキャラメル」。浅草は下町の代表地域。浅草寺をはじめ、仲見世・雷門・伝法寺等江戸情緒あふれる観光地なのですが、昨年暮れに私は訪れており、そんな事よりも巷で話題になっている浅草になぜかある「北海道物産館」で販売されてる<ジンギスカンキャラメル>TVのワイドショーで見た!)を食べてみたいと思い、買ってきてもらった。いつもながら、ミーハーな私。

*浅草は1日かけてゆっくり見たい場所です。仲見世をはじめ店が多く、それを見て回るだけでも楽しい所です。もう一度、時間かけていってみたいです、そのうち。しかし、今回、主役はジンギスカンキャラメルとさせていただきます。

kyarameru ジンギスカンキャラメルって?それがこの写真。ジンギスカンの味がするキャラメルって想像できますか?さらにその他にも、北海道ならではの名物の名を取り入れたミスマッチと思われるキャラメルがあるのにビックリしました。

さて、恐る恐る口に入れたそのお味は??まず~~い!と評判を聞いていたけど私には大丈夫でした!焼肉をつけたときのタレの味でやや油っぽさがある感じの甘ーいキャラメルって感じ。特においしくは無いけど食べられる。なんか、拍子抜けしちゃいました・・・(**)!

そのほかも食べましたが、夕張メロンキャラメルは想像つくけどそのままでおいしい。

サッポロビールキャラメルは、あけた瞬間ビールの匂いがプンプン。ビールの匂いのするそのままのキャラメル。

塩ラーメンキャラメルは、外側が塩ラーメンの塩味。中は普通のキャラメル。まあ、食べられもなくない味ですね。

まあ、私のようにミーハーで話の種に食べたい方はチャレンジしてみてくださいね!

楽天ショッピングでも販売してましたよ。

sonotano_miyage 一応、その他のおみやげは、これ。六花亭のホワイトチョコは品切れで、残念。もう一つ、トラピストクッキー素朴な薄味が大好きなもの。

アーモンドチョコ雪の調べクッキーはあっという間に子供たちの胃袋におさまり、食べられませんでした。

後日談:夫の同僚も同行した際、話題づくりに「ジンギスカンキャラメル」を1ケース(30ヶ入り)を購入したそうな・・・

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2005/11/10

11月11日は何の日?

落花生つながりのネタです。

yatimata_kitaguti 実は明日 11月11日は「ピーナッツの日」です。

全国落花生協会が1985(昭和60)年に制定。

新豆を使った落花生が市場に出始めるのがこの頃で、ピーナッツは1つの殻に2粒の豆が同居する双子であることから、11のぞろ目の日を記念日にした。

私が知っていたのは確か♪あなたも私もポッキ~♪の「ポッキーの日」でしたが、なんと検索で調べたらぞろ目の日のせいか出るは出るはその多さとユニ~クさにビックリ。

サッカーの日(11人対11人でするから)、電池の日配線器具の日というのもありました(笑)

理由やその他の記念日を知りたい方は見てください。自分の誕生日も調べられるかも知れませんよ!

記念日 11月11日

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2005/11/06

ご無沙汰いたしました(^^)/

たいへんご無沙汰いたしました。また、ブログの更新を再開いたします。

bg_h_momiji2 心配をしてくださり、メールまで下さった方には本当にありがとうございました。私の体調や身近に起きた件に関する事とはいっさい関係ありませんのでご安心ください。ご心配おかけして申し訳ありませんでした。

実は、先月は私の所属する書道会の昇段試験に向けて、平日はもちろん土日にも練習日をもうけるなどたいへん忙しくしておりまして、作品締め切りの11月2日まで多忙でした!

また、この忙しさを機会に以前から私自身の反省点で<ブログにはまりすぎて他の日常の仕事等をおろそかにしてしまっている生活>を断ち切ろうという意図もありました。

日常のやらねばいけないことやもっと大切な事への時間を裂き、その中で余った時間を利用してブログに関わる時間を持とうと考え直しました。

したがって、今後は記事の更新とともにコメント返し、コメントくださった方のブログへの訪問やコメント書きも今まで以上に遅くなるかと思いますが、どうかご理解ください。そして今後もよろしくお付き合いくださいね。    <(_ _)>「お願いいたします!」

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2005/08/17

夏休みの思い出 その3

私が小学校の頃の夏休みの思い出をつづってます。その3の話。

水泳(学校のプール)swimming

夏休み中は、学校のプールは解放されてました。今ほど、レジャー施設がありませんでしたのでほとんど毎日、友達と学校のプールに通いました。確か、浮き輪等は使用禁止でした。では、プールの中で何をして遊んだのかな?一番覚えてるのは、小さい小石か何かを投げ入れてそれを取り合う競争だったかな?プールの底を しっかり目を開けてはいずりまわって捜した思い出があります。水にもぐった時、外の音がさえぎられブクブクという音が耳に響いているそのときだけ一瞬、孤独を感じる、不思議な感覚。見つけてその石を手にし、水の上に顔を出したとき、また、いつもの喧騒が戻る。休憩時間はプールの周りの陽射しで熱くなっているコンクリートの上にうつぶせに寝ると、冷えた体に丁度良い暖かさで気持ちよかった。

スイミングスクールなんて無い時代、学校で水泳を教わった。なぜか、私は水泳選手候補に選ばれた。夏休み中に水泳大会があるため、選手に選ばれたものは午後3時~5時まで毎日練習をした。午前中は友達とプールに入り、また、午後にも練習とあり、濡れた水着を着るときはそのときだけ気持ち悪かった。種目は、バタ足と自由形だ。ビート板での練習は疲れる。自由形は好きだったかな?それを終え、帰りに駄菓子やさんで友達とアイスを食べるのが楽しみだった。いつだかの年、50M自由形で1位になり、小さいが「たて」をもらった。金属でできていて少々重みがある。そこに水泳選手の姿が刻まれてるもの。swimminng_race 今も実家にあるはずだが?今度見てみよう。

余談だが、今では考えられない水泳の種目があったと思う。それは、名称忘れたが、息継ぎせずに一息でどこまで泳げるかと言う競技(これは女子だったかな?)と「もぐり」でどこまで泳げるかと言う競技(これは男子?)これは、皆、興味津津、プールの淵を囲むようにとりまいて見守ったものだ!1番遠くまで泳いで水の上に顔を出した子には全員から拍手がおこったと記憶している。子供の立場からだと、その子がプールから上がり戻っていく姿を尊敬の目で追っていた気がする。

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2005/08/12

夏休みの思い出 その2

dotgeiball

私が小学生だったときの夏休みの思い出の一コマを書いてます。その2の話。

部落対抗子供会ドッジボール大会

夏休みになると、部落(地域)対抗の子共会ドッジボール大会があるため、部落のこどもたちは練習モードに入ります。田舎だったせいもあるけど、子供会の役員さんなんて、今ほど関わってこなくて、自分たちで自主的に練習してたと思います。

あの頃は、学年に関係なく日ごろから低学年も高学年も一緒に遊んでました。だから、いつもの遊びの延長だったみたいで、和気あいあいで練習してました。今おもうと、高学年のお姉さんはすごく優しくて指導力あったな~って。はっきりは覚えてないけど、小さい子達の面倒を良く見てくれた。ボールのよけ方とか受けの練習とか、「腰低く~~」って言葉はいまだに耳についている。

そして、ある年の大会。優勝はできなかったけど、惜しくも準優勝すごくうれしかった

でも、その大会が終わってしまうと、なんだか張り合いがなくなって、ちょっと寂しさをかんじながら残された夏休みを過ごしてました。

今は、外で遊ぶ子供の姿が少ないし、学年を超えて遊ぶ姿もあまり見かけなくなってしまいました。TVやTVゲーム、ビデオ、PCとインドアで楽しめる遊びが増えてしまったから??

人と人との関わりが少なくなってきて、社会に出て対応できなくなる若者が増えるのが心配だ。

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2005/08/04

ブログって何だろう!

最近、ブログの件で悩んでます。私にとってブログは何なんだろうと!!yasi01

ブログを立ち上げた頃は、自分の言いたいことが世間に公表することができるととっても楽しみでした。でも始めた頃は、誰が私のブログを見てくれるのか?コメント欄に「0」がいつ見てもありました。誰も見てはいないんだ!と落ち込んでました。そのうちに、わかるとできるWEBアイランドを通して、ポツッ、ポツッとコメント付きました。その時の感動は今でも忘れません。ムーミンパパ、はちさん、阿武さんありがとう。とってもうれしかったです。また、YKさんは、見てくれる人の増やし方のアドバイスをしてくださいました。ただ、記事を載せて待ってるだけでなく、他の人のブログを訪問し自分もコメントを書きこまなけりゃと。早速実行すると、そのお返しで私のブログを訪れる方が増えて来ました。YKさんにもたいへん感謝しております。

そして、はじめてから5ヶ月少々が経ち、まるで昔からの友達のような感覚でコメントのやり取りをするまでになったブログ仲間たち。みんな良い人だと思いさえしました。でもそんな中で、だんだんその方たちが見えてきた気がするんです。この方とはちょっと合わないかな?とかそんな人だったの?て!!それは私自身にも見えてきました。自分の嫌な面、いやらしい面が強く出てきたのも否めません。私は好き嫌いがはっきりしていて、嫌だと思うと拒否してしまう。それって良いのか?悪いのか?

私の中には、くそまじめな部分があってお友達はみんな誠実な人だと思いこんでしまうんですね。そうでないとわかると、裏切られた想いが募り逆に反発してしまう。もっと、軽い関係に考えていればそれほど悩んだり、反発することもないのに・・・。

あんなに楽しみだったブログ。今、私にとってブログって何なんだろうって考えてます。yukata_onnna

[出口]   λ........トボトボ                            

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2005/08/02

夏休みの思い出

          最近、歳kakigooriをと るにつれ、昔のことがとても懐かしく思い出されます。

今は、子供たちにとって夏休みの真っ最中。自分の子供の頃の夏休みはどうだったかな?しばらく、私が小学生だったときの夏休みを思い出し、つづってみますね。

ラジオ体操

昔は、夏休み中、毎日ありました。私のうちは小学校に近かったため、会場は小学校でした。首に蚊取線香の箱の紙で裏打ちした出席カードをぶら下げて・・・。そうすると、当直の先生が眠そうに寝癖の頭のままで出てきて、ラジオをセッティングしてました。そう、昔は男の先生が学校の警備を兼ねて?泊り込んでいましたね。歳がばれる~~モウダメ _| ̄|○  ラジオ体操が終わると、カードにハンコを貰うため我先にと並びました。そうするdaichiB と、当直の先生がアクビをしながら印を押してくれました。そして、朝日を背に浴びながら、また家路につくのでした。

次回は?子供会ドッジボール大会のこと、カキコしましょうかね?

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2005/06/10

時の記念日

watch_01 6月10日は、「時の記念日」。年をとるごとに時間がたつのが早く感じるのはなぜでしょう?毎週見るTVを見るたびにもう1週間たってしまったんだ!と感じるのは私だけだろうか?つい2・3日前に見た気がするのだ。時間は、今も動いている。アッという瞬間ももう過去のものとなってしまう。なんて、虚しいんだろう。こうして、人は年をとって行く定めなんだ。だから、今を大切にもっともっと大切に生きなければいけないんだとあらためて思う。頭でわかっていても、実際は無駄なことにずいぶん時間を費やしてしまうのだが・・・。

時間を止められたらどんなに良いだろう!贅沢を言えば、さらに時間をさかのぼることが出来たら、どんなに良いだろう!!出来なかったことをやりなおすことができるだろう。若さも取り戻せるだろう。未来に希望を持つ夢が見られるだろう。

しかしながら、所詮、無理な望みだ。今からを考えるしかないのだ。幸いなことに、貧富の差はあっても時間だけは、誰にも平等に与えられているのだ。これを活かさない手はない。『時の記念日』にあらためて、時間について考えてみた。

インターネットでかわいくて面白い時計を見つけた! talking_clockコロンと横に回転させると、時計から気温計に。さらに回転させるストップウォッチに。続いてカウントダウンウォッチになって、表示する。トーキングなので、話すのだが、それがネイティブの子供の声で、英語で教えてくれるという。もちろん、OFFも可能。ちょっと欲しくなった。<¥2100>

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2005/03/07

今日はまさに春の日です!

ka04先週の雪がうそのように今日は日差しがやさしく、風もなくおだやかな まさに春の日です
こんな日は車の窓をあけて、海へドライブに出かけたい!それが無理なら、ガーデニングにとりかかろうかな?!
冬の間は木々も葉を落とし、芝は薄茶色に枯れているし、見るからに寒々しくて、増して人間(つまり私だが)は寒い中でのガーデニングなんてと冗談でなく、冷たくわが庭をほったらかしておりました。(猫の額よりも狭い庭なんだけどね)今週中くらいにホームセンターで花の苗や新しい土も購入し、庭を明るく作り変えなきゃ・・・。お天気が続きますように・・・。

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2005/03/05

お一人様?!

spi_0014私の町も朝の冷え込みによる路面凍結が心配だったが、昨日後半にみぞれが降ったので、だいぶ解けており大した凍結もなく一安心をした。
 今朝、「めざましどようび」を観ていたら、最近主婦の間にひとりで食事をする人が増え、彼女たちを<お一人様>と呼ぶという特集をしていた。なんだ、それなら私ずいぶん前から『お一人様』やってるよって思った。友達同士わいわいしながらの食事も良いが、昔から人に気を使いすぎるところがあるので自分の思いを押し殺してしまう。だから、たまに一人で食事したり、カラオケ行ったり、独身の時は一人旅まで数回したことがあった。自分の思い通りに気兼ねもなくストレスも発散できて、好きだ。でも、傍からは変わり者って見られているんだろうな?!って思ってた。なんと言われても、けっこう一人の時間好きだもん。根が暗いのかな?話べたのところはあるけど・・・
一人で店に入っていくときのなんともいえない周りの空気!いつも、肩身の狭い感じで背をまるめ、めだたないように
入る。そして、心の中で「何も悪いことをしてるわけでないんだから!」と叫んでいる私がいる。だから、今日のニュースは私にとって大朗報なのである。同じ思いの人がほんとに増えてきてるんだな。これからは、胸をはって店に入ろう。「お一人様、はいりま~~す!」

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2005/03/04

雛人形&セルフGSデビュー!

桃の節句の今日、我が家にひな飾りはありません。男の子二人だから、当たり前といえば当たり前なのだが・・・。私自身が、私のために雛人形を飾られたことがないんです。わたしは、3人きょうだい。姉、兄とおり、わたしは末っ子です。でも、すぐ上で9歳、その上は11歳も離れており、ものごころついたころは上二人は家を出ておりまして、ひとりっこのように育ちました。割と、兄弟争いのない世界で、不自由なく育ててもらいました。ただ、1点私には雛人形がないということ!姉の初節句には揃えたらしいのですが、なにせずいぶんと大昔の話。人形は次々にねずみにかじられてしまったそうです。そういえば、昔は家の天井裏がやかましかったっけ。それでペットは必然的に猫でした。もっとも最近の猫は、本能が薄れ「ねずみ」をまたいで行くのでは??本当に昔から家の中に雛飾りをしてみたいというのが夢でしたし、いまだに願望あります。だから、来年わたしにとって節目の年だし、毎月3日の日にでも積み立てをして来年のこの日には小さいものでいいから、せめて「お内裏様とお雛様」を飾りたいと考えております。余談ですが、教えている生徒からよく聞くのですが、おじいちゃん&おばあちゃんから送られたであろう?りっぱな~段飾りのお雛様。飾らない家庭が増えている?ようです。部屋が狭くなる、出し入れが面倒とやらで・・・。事情はわかるけど、日本の文化が薄れていくのも寂しい限りです。


ひいきにしているGSが改装のためしばらく営業していない。だから、その間に利用する代わりのGSは?
ありました!このところ流行のセルフサービスのスタンドが・・・。今まではなんか難しそうとかめんどくさい
と敬遠しておりました。何事も経験だと思い切ってチャレンジしてみたら、以外や簡単!音声に従って指示どおり
やればできるジャン。給油は結構楽しい。最初に満タンセットしていれば勝手に停止してくれるし・・・・。
心配し過ぎて損してたな、いままで。これからはちょくちょくおじゃませていただきますよ、ホント▽ 


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2005/02/22

ココログ”しきりなおし”

tukusi
いろいろありまして、ダブル登録したのにきずき、ひとつを解除しましたら、なぜかブログが表示されなくなってしまいました。2~3回niftyに連絡をとり、新たにこのブログを立ち上げました。以前のファイルがなくなってしまい非常に
悲しい~~!(;;) このつくしのようにすくすく育ってみんなに愛される”ひなたぼっこ”にしたいです。改めましてお願いいたしますです、ハイ。

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