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2015/02/04

I am Kenji and I am not Abe!!

前々記事にも取り上げ「後藤健二」さんの解放を皆で祈りましょうと閉めたが、願いもかなわずその2日後、とても悲しい結末となってしまった・・・。

戦地や紛争地域の人々や子供たちの現状を伝え私たち人間はどうするべきかを考えさせるジャーナリストだったその道では有名な人だったようだ。

WIKIPEDIAより

後藤健二(ごとう・けんじ)

番組制作会社を経て1996年、映像通信会社インデペンデント・プレスを設立。「戦争・紛争」「難民」「貧困」「エイズ」「子どもの教育」の5つの人道分野にフォ-カスし、困難な環境の中で暮らす子どもたちにカメラを向け、世界各地を取材している。NHK「クローズアップ現代」「ETV特集」「BSドキュメンタリ-」、テレビ朝日「報道ステーション」などの番組でその姿を伝えている。

あらためて彼のホームページを覗いてみた!日付は報道でも伝えているように2014、10.23の書き込みを最後に更新されていない。記事もいくつか読んでみた。予想されたように紛争・戦争地域の様子はものすごい。さらに今度こそ最後かもしれないと思い、心の中で家族に「さよなら」を告げている箇所もあった。こんなむごたらしい殺され方で亡くなるとは思ってもいなかっただろうが、常に死とは隣りあわせだという覚悟は有ったはずだ。

渡航前に政府から止めるように3度も促されても彼は自分の意思を通してシリアに入った。殺されても仕方がない、自己責任だという考え方も有ろう!

それでも、彼を現地に向かわせる衝動は何だったんだろうか?命を懸けて、命を捨ててまでも向かわせるものは?死んでしまってはそれ以上世界に発信できなくなるのに・・・。

彼はジャーナリスト仲間が多く、その多くが彼を誉め、けなすことはない。そして彼の意志を継いでいこうとする機運も高まっている。そして、ネット上に「I AM KENJI」と書いたボードを持ち自分の顔を載せている人々も多く現れている。

私はジャーナリストでもなんでもないが、彼の残した功績を称えこれからも彼の意志を継ぐジャーナリストたちを応援したいという気持ちから

          I am Kenji   と言う気持ちを伝えたい!

それに対して、二人の日本人がイスラム国に拘束されていることを把握しているのを知っていながらの安倍首相のこの時期の中東訪問、イスラム国を敵対するヨルダンにてイスラム国に刺激を与えるような発言とヨルダンへの支援の発表は考えあっての事だったのかはなはな疑問におもう!テロに屈しないという発言はあたかもかっこいい。だが、拘束されている日本人がいることを把握しているならそちらの目途(解放)を優先してからの訪問や支援発言をすべきだったのではと思う?

噂ではこのテロによる人質・殺害事件を機会に集団的自衛権、憲法改正に弾みを付けそうな雰囲気が巻き起こっている!今回の結末をよく吟味することもなく自分たちの政府の考えを便乗することはもってのほか!!!

そこで敢えて

I am not Abe なのだ凸(`、´X)

2014/08/07

69年目の原爆の日 忘れない

001昨日、8月6日は原爆の日だった。私はいつものように朝の「花子とアン」を見ようとTVを付けた。ところが「広島平和式典」の中継が始まった。もちろん、この日が「原爆の日」であることは承知していた。でも、こんなに早く式典を行うんだと意味もなく見続けていた。8時15分、列席者全員に「黙とう」の声が送られた。そうなんだ!69年前のあの日、世界で初めて広島に落とされた「原爆」は午前8時15分だったんだ!忘れていたthink

002実はブログを始めたころに原爆の事を記事にしたことがあった<原爆 2005・8・5 ヒロシマに続きナガサキも…2005・8・12>が、その時調べたことをずいぶん忘れてしまっている自分があった。身になっていない!やはり、上っ面だけの思いで記事を書いていたんだと深く落ち込んだ⤵やはり、他人事なんだ、私の中では。深く、反省ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

004あいにくの雨の中、広島市長が「広島平和宣言」を読み上げた。その中で「集団的自衛権」という直接的な言葉はなかったが、『唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。』と政府を批判しているととれる文言もあった。広島の子供代表による「平和への誓い」も読み上げられたあと、安倍首相のあいさつがあったが、私は内容も聞きもしなかった。安倍さんが政権を握ってからと言うもの右へ、右へと移行しつつある日本。どうせ差しさわりの無いとおりいっぺんのあいさつをするだけだろうと思われたから・・・。安倍首相は「平和宣言」の内容をどう受け止めたか聞きたい!新聞によると、この後、被爆者団体との面談をしたそうだが、被爆者側が求めた<集団的自衛権行使容認・原発再稼働を撤回>に応じなかったとある。この国をどこに向かおうとさせているのか?「国民の命と暮らしを守るため」と力説、持論を展開するだけだったという。

私は広島を訪れたことがない。今年の原爆の日を迎えてあらためてまだ被爆者の気持ちを理解していないと反省させられた。来年は70年目。その節目の年になんとかその地を訪れて少しでも悲惨さを心に刻まねばと思っている。

003そしてやはり数年前に手に入れた「はだしのゲン」のコミック本を再読しようとも思っている。

2014/03/20

あなたを誇りに思います

この記事もちょっと時期がずれてしまいましたが、忘れてはいけない忌まわしい3・11関連の話題であり書きたいと思います。

先日の3月11日。あれからもう3年が経ってしまった。被災地は思うように復興が進んでいない。資材不足・人材不足・人口流出、その他様々な問題が発生・絡み合い、負のスパイラルに陥っているようだ。

福島では、原発事故の収束など気の遠くなる先の先の話。聞こえてくるのは高濃度の汚染水が漏れたという話ばかり。そのたびにため息が出る。漏れた水は地に染み入り、または海に流出しているだろう。東京電力、本気で取り組め!

ノーモア原発の民意の声を全く無視し政府は原発の再稼働に向け力を注いでいる。国は一体何を考えているんだ!怒りが湧いてくる!

3月11日の日。用事で外出した。出先で14:46に黙とうしようと思っていたのに気が付くと15時近くとなってしまい残念。でもその時点で遅れて黙とうをした。帰宅してからTVを付けると、「東日本大震災三周年追悼式」が中継されていて、遺族代表の岩手県の浅沼ミキ子さんが祭壇に向かうところだった。

「もう顔を見られなくなって3年もたつのですね・・・(中略)。地震の直後に、お客さまを非難誘導してきたあなたと会うことができました。生き生きとした顔で仕事を遂行しているあなたを頼もしく思い、言葉を掛け合って、お互い安心して別れましたね。あれが最後になることなど思いもせず・・・(中略)多くのいとしい命が、人を助けたい一心で頑張ってくれました。大好きだった陸前高田の人たちを守りたかったでしょう。・・・・(中略)母は、あなたを誇りに思います。私たちのもとに生まれてきてくれたこと、ありがとう(後略)」

同じ母の立場としてその心情が切々と伝わってきて涙が次々と溢れてきた。

048

翌日の東京新聞の一面に前文とエピソードが載せられていてまたまた涙した。

地元が好きで陸前高田市の臨時職員をしていて、4月から本採用が決まっていたという「浅沼健(たける)さん、当時25歳」。長男とほぼ同じ年なので自分に置き換えると私は耐えられないなと思う。

ミキ子さんは夢枕に健さんの声「海から高台に向かう避難道路にハナミズキを植えて!」と聞いた。息子の願いと感じて、その実現に向けて「ハナミズキの道の会」を立ち上げ、その署名は5000筆を超えたそうだ。また、絵本「ハナミズキのみち」も出版し、反響が多く、4刷を重ねているとあった。

是非、実現させていただきたい。なんらかの方法で私も協力したいと今、思っている。

2012/09/23

災害ボランティア活動に参加してみて・・・

先月、初めてのボランティア活動の報告をした後に総括すると言っておきながらパソコンの故障と買い替え等もあり、まだ記事にしていなかった。

遅ればせながら私なりに考えてみた。

東日本大震災から1年半が過ぎた。あの膨大なガレキはほぼひとまとめにされていた。でも、沿岸付近はいまだに家の土台だけを残した殺風景な光景が続く。南三陸に関しては、埋もれた側溝の泥上げをまだしている。泥の中のガレキの分別もしている。しかも夏休みとは言え、ボランティアの数は何十人程度。これでは復興まではまだまだかかると思われた。

国や行政の取組が先決だが、既に国・地方レベルで取り掛かっている復興は山とあるだろうし小さい事柄は一般市民が訴えてもそう簡単に動くまい。(そんな対応は理想ではあるが・・・) だからここでは一般の市民レベルで考えてみた。

①常に被災地のことを忘れないこと。
②被災地に何らかの形で支援すること。
  ・被災地への義援金 ・被災地の農産物、海産物を購入する ・被災地への旅行
  ・被災地へのボランティア活動(体力に自信のある方)
③支援を継続すること。

一人一人はわずかなことしかできないが、一人一人が心がければ大きな力となるはずだ。そして一度で終わることなく絶えず続けていくこと。今はメディアでも報道はわずか。しかし、現地ではまだまだ支援が必要なことは確かだ。無理はしない、できる範囲で被災地の皆さんに喜んでもらうことが重要だと思う。

日本に住む限りどこで起こってもおかしくない大地震。私たちはいつ何時でも被災する可能性は高い。明日にでも被災地、被災者になるかも知れないのだ。そう考えたら、被災地や被災者の立場に立っていつでも支援することが必要だと思う。

偉そうにまとめてみたが私自身、地震発生直後に義援金を送ったきり(ノ_-。)。現地に行って現場を見て、改めて支援を継続しなければいけないと思わされた。

ボランティアという形も直接的で有意義に感ずるが、時間とお金、体力も必要だ。若い方がもっともっと参加してくれたらなと思う。私もせめてもう一回は参加してみたいとは思っているが、時間、お金、体力この三つの折り合いをつけるのが難しいところだ。

 

2012/08/22

初めてのボランティアツァー参加 南三陸町⑤

もう少し「南三陸ホテル観洋」について述べたい。このホテルは自らが被災しただけでなくその後、避難場所として場所を提供して地域に貢献もしていたと聞いた。帰宅後、ホームページを覗くとスタッフブログから震災後のホテルの様子や活動が克明に記録されていた。忘れかけていた被災地や被災者の苦労を思い出させてくれ、このホテルの貢献を大きく称えたい。東北、特にこの地域を今後訪れることがあるならば是非このホテルを利用して欲しい。まわし者の宣伝ではない。純粋にここのホテルの役割に感動を覚えたし、勧めるほど価値のあるホテルだと思うからだ。

翌朝早くに目が覚めた。昨夜は気がつかなかったが、静けさから間近で波の音が聞こえていた。私の隣の方も目覚めていて、二人で朝風呂に入ることにした。さすがに人は少なくくつろげた。朝日の見える露天風呂を売りにしているがその日はあいにく霧がかかり見えず・・・。風呂上がりに部屋に戻る途中、慣れているカモメたちがホテルの窓外の手すりに羽を休めている姿をあちこちに見た。その距離、窓越しとは言え4、50センチしかない。すごくかわいい顔をしていて触りたい衝動に駆られるほどだ。
部屋に戻ると高校生・先生も起きていらした。指定された時間にみなで朝食の場所へ。海の見える相当に広いイベントホール(1200名収容可)でバイキングだ。人はまだまばら・・・、バスの仲間たちは寝坊しているのかな?バイキングだとつい全種類を皿に取ってしまいがち。後でデザートと思っていたヨーグルトやフルーツは結局お腹いっぱいで食べずじまい。配分を考えておけば良かったと反省。出発までの間に早めに部屋を出て売店で土産を物色。そうだ、このホテルはまさにカモメのホテルだからと三陸銘菓<かもめの玉子にした。

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053ホテルでの写真も全く撮っていなかったことに気付きあわててバスの中から出発前に撮った写真。ホテルの全容は取り損ねこれも反省。本日も昼まではボランティア作業をする。昨日と同じくまずは災害ボランティアセンターに出向く。その道すがらバスの中から被災場所を撮影した。

055右端の赤い鉄骨だけが残ったビルは例の「防災対策庁舎」だ。津波が押し寄せる間自らの命をかけて避難を呼びかけ続けた南三陸町職員遠藤未希さん(24)が犠牲になった場所だ。その他今場所では町職員が10数名犠牲になっている。周りには供えられた生花がたくさんあった。バス内からご冥福を祈った。

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私たちが作業している近くの道路。コンクリート土台とむなしく生えている雑草の景色がここらあたりは続いている。

今日の作業内容も引き続き側溝の泥上げだ。私の年だと筋肉痛は1、2日経ってからおこるものだが、昨日のスコップによる泥上げ作業は相当に効いたらしく今朝から背筋と両肩が痛いbearing。女性や無理な方は上げた泥の中の瓦礫の分別収集をやってくださいと言われ私はすぐにそちらに回った。自分が昨日上げたあたりを中心に作業開始する。

ボランティアリーダーには女性もいる。その方が分別の仕方を説明するが明らかに関西系のイントネーションだった。その方々は「南三陸町福祉協議会」と入ったビブスを着ているのでてっきり地元の職員だと思い込んでいたが、ボランティアリーダーも各地方から来ているのだと悟った。
その分別がたいへん。ありとあらゆる生活用品も出てくるので何度かどの分類に入るかを尋ねないとわからない。大まかに燃やせるゴミ(木材、牡蠣殻、プラスチック製品)、ガラス・陶器片、燃やせないゴミ(瓦、石)、金属類だ。しゃがんだ形の作業もそれなりに疲れる。小銭を貯金していたか誰かがビニールに入った1円玉を掘り当てた。また、レプリカかもしれないが大判小判の大判を見つけた人も。ちょっとした宝探しみたい。思わず周りで笑いが起こる。私は夢中でいつの間にかその他のグループに入っていたようだ。
休憩後、女性だけでがんばっている泥上げチームに合流。私のようにやわな考えで楽な作業に入った人は少なく相変わらず重労働に徹している姿を見て反省。筋肉痛に鞭打ってまたスコップを手にした。懸命に作業をしていると午前中もあっという間だ。最後の休憩が離れた場所からかかるが時間もあと少ないということで私たちは休憩せず作業を続けた。

あっという間にこのボランティア活動も終了となる。最後にボランティアリーダーがお礼を言ってくださった。そしてまた応援に来て欲しいとも。その際に休憩はきちんと取ってほしいと苦言を。確かにそのために何か事故が起こらずとも限らない。時間がないから少しでも作業をしたいという気持ちだったが、逆に迷惑がかかることもあり得るのだとあらためてこれまた反省した。

ボランティアセンターに戻り着替える。本日はシャワーも風呂もなくこのまま帰路につくわけだ。私は朝風呂の際に濡らし絞っておいたタオルでしっかり噴き上げた。それとボランティアセンターでは資金調達のためのグッズを売っていたので協力のためにTシャツを購入。
以前に来た人は「絆」と南三陸町のキャラクター?か元気モリモリって感じのイラストがついたTシャツを着て作業をしてた。それも良いが新しいバージョンのシャツが出たというのでそちらを購入。前には「支援人(しえんちゅ)」後ろにキャラクターのイラストの上に「今日も笑顔で明日を目指し強い絆と心に感謝」と書かれている。後日写真掲載予定です!

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次回、初めてのボランティア活動の私の総括を記事にするつもりです!最後まで長文にお付き合いありがとうございました。

 

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2012/08/19

初めてのボランティアツァー参加 南三陸町④

Photo今日の宿は南三陸町ホテル観洋 という。写真はホームページからお借りしたもの。実に立派な大きな旅館でびっくり。今日のボランティア活動中の休憩時に添乗員さんと話をしていて今日の宿の話をしたら、「あそこよ!」といって指さした方向に見えたのがまさしくこのような構図。作業地からでも遠目にしっかりとその存在が見えた。
正直、来る前に宿は期待していなかった。三陸町という小さな町にある旅館だから温泉でない普通の旅館くらいに考えていたので、ホームページで確認さえしていなかったのだ。うれしい~~!海に張り出した天然温泉旅館だなんて!

10分ほどで到着。泥で汚れた作業着にみな長靴で大荷物を抱えてぞろぞろとロビーに行くと担当者が出てきて、すぐに「長靴は禁止となっております!」と注意されてしまった。言われればそうだ。普通の靴に履き替えて食事の部屋と時間を知らされ、部屋に案内された。部屋はもちろん相部屋。5人でバスの前座席、同横列の人たちだった。荷物を置いて皆で早速お風呂へ。

Photo_2部屋もそうだがもちろん風呂からも海が全面(すぐ真下もすでに海)に見える。ちょうど混む時間帯だったようで洗い場の席をちょっと待つほどだった。露天風呂も素晴らしく湯につかってしばらく海を眺めていた。カモメがすぐ間近を飛び交い雰囲気は最高だ。今は穏やかだが、あの3.11の日はこちらも被害を受けたと聞いた。自宅に帰ってHPを見たらこの風呂場も被害を受けたそうだが、メインボイラーは助かったとか・・・。今はそんな傷跡も全くわからないほどきれいに修復されていた。

風呂から出て部屋へ。部屋の人と談笑した。養護学校の生徒さん2名(他部屋にも男子2名)を引率してきた先生。親子(高校生の息子さん)を連れていらしたお母さん。この方は福島へもボランティアに行かれたことがあるそうだ。

六時に食事の部屋へ。ここでも感激。夕食がすごく立派なのだ。何種類もの品がたくさん、中でも初めての<アワビの踊り焼き>(かわいそうだけど・・・)おいしかった~!食事の間、一人づつ本日の感想を皆に発表。最後に一本締めでお開きとなった。部屋に入ると布団がひかれてあった。このホテルが気に入ったと話すと先に調べられていた方がここは日本でも人気の高いホテルなのだと教えてくれた。確かにまた来たいと思えるほどだ。TVをつけるとロンドンオリンピック女子バレーの三位決定戦が中継されていて皆で応援。マッチポイントが決まって銅メダルが決定。皆で拍手して一体感が沸いた。時間は九時を過ぎていて、私は昨夜の寝不足と今日の疲れで眠気が襲い、布団に入るといつのまにか眠りに落ちたようだ。

2012/08/17

初めてのボランティアツァー参加 南三陸③

054災害ボランティアセンターに着いた。添乗員さんがそちらに申し込みしている間、私たちはスポーツセンター内の更衣室に行って作業用スタイルに着替える。

ボランティアツァーに参加してみて初めて分かったことはとにかく通常の旅行と違って荷物が多くなるということ!!

1.2日分の作業用の服(長袖、長ズボン) 2.長靴(踏抜き防止インソールを入れること)   3.カッパ(雨天でも作業する為) 4.帽子 5.厚手ゴム手袋、軍手 6.マスク、ゴーグル   7.ウェットティッシュ(水道がない地域のため) 8.飲料水、非常食 9.リュックサック     10.ウエストポーチ 11、タオル数枚 12.メモ帳、筆記用具、保険証コピー 13.ボランティア保険加入証(事前に社会福祉協議会で手続きをしておく)

着替え後、ボランティア者専用のビブス(スポーツ競技でユニフォームの上に着る薄いベストのようなもの)を着てバスに乗って作業地に向かう。建物のコンクリート土台だけを残した海が近い場所で、すでに活動中の他のグループがいた。地元のボランティアリーダーが今日の作業を説明した。この日は側溝の泥さらい。およそ30㎝くらいの深さのU字溝に上までミッチリ詰まっている状態だ。水も含んでいて泥あげは結構な力仕事となった。津波に襲われた場所の証がつぎつぎと現れる。泥の中の半分近くは瓦礫なのだ!割れた瓦・壁材・ガラスそして茶碗や皿、日常品も。それにこの地の水産業だった牡蠣殻もたくさん出てきた。天気は幸い曇りで助かるがそれでも汗があふれてくる。1時間に1度10分程度の休憩が入る。個人で飲み物は用意しているが、添乗員さんはジャグに冷たい麦茶を用意してくれていた。その冷たさはすごくお腹にしみて最高だった。そうそう、添乗員さん(2名)はなんとボランティアの作業まで一緒にしていたのにはびっくり!仕事とはいえ大変だなぁ~と同情。

休憩後現場に戻ったら、処理が終わったU字溝の水が流れていてその水がきれいに澄んでいたのにちょっと感動。この地は地盤沈下で大潮の際には水浸しになるとか・・・。ところどころ低くなっている地には水がたまっていた。

昼食時間は1時間。昼食後、港だったろうと思われる場所に行ってみた。ここもコンクリートが崩れたまま・・・。でも、海水は想像以上に澄んでいた。ふっと寂しさがよぎった。添乗員からの注意で作業中の写真も、このあたりの写真撮影も控えて欲しいというのだ。だから、お見せしたいが写真は無い、残念。

午後も同じ作業が始まった。一人では大したことができないがたくさんの力が加わるとできるってことを当たり前だが実感。きれいに流れる側溝があっちにもこっちにも・・・。ところが雲行きが怪しくなってきてポツポツと雨が降ってきた。様子を見ながら作業を続けるがリーダーの合図で作業を早く切り上げることになる。ちょっと中途半端だけどなれない土木作業に体もかなりまいってきていたからラッキーだった。道具の数を確認後しまって、本日の作業は終了となった。再度、ボランティアセンターに戻り本日の活動報告をして、記念の集合写真を撮った。早くべたべたする体の汗を流したい。バスはこの日の宿に向かった。

2012/08/16

初めてのボランティアツァー参加 南三陸町②

0638月10日21:05 JR千葉駅バスターミナルから出発。ここからは数名しか乗らなかった。さらに津田沼駅、上野駅へ寄る。特に上野からの参加者が圧倒的に多く、すでに乗っている者に「こんばんは!」っと元気よく声をかけてくれる明るいグループもいてバス内は一気に活気づいた。

ここであらためて運転手、添乗員の紹介挨拶があり大まかな予定が案内された。2時間おきにSAによりトイレ休憩。朝の8時半頃に南三陸町に到着予定。どこかのSAで本日の朝食・昼食も調達せねばいけない。期待と不安を胸にバスは東北道へ入る。そして12時過ぎにバス内も消灯となる。あくびも出てきていて私も目を閉じた。

はっと目が覚めると、バスは超のろのろ。バスの前方を見ると暗闇にずっと続く車のテールランプのラインが・・・。お盆に入るには1、2日早いと思うのだが夏休みの週末も重なったせいか想像以上の渋滞となっていた。ボランティア活動を考えたら寝ておかなければいけないが、止まったり動いたりのバスの揺れに、座った状態で寝るのもお尻や首が痛くなり全く熟睡はできないまま朝を迎えた。添乗員さんが「私が企画した日が悪かった!」と反省するほど予定時間を大幅に過ぎてしまっていた。結局、SAでゆっくり朝食時間をとることができず、車内ですます。また、到着後に予定していた自己紹介も移動中に行うことになった。自己紹介で驚いたことには、遠く鹿児島からひとりで参加している高校生あり、ほかにも福岡、愛媛からの参加者がいた。ボランティア活動は数回~多い人は30回以上されている人もいるってこと!このバス会社の企画にほぼ毎回参加して添乗員さんとはお友達感覚のグループ。中にはボランティア活動が縁で結婚し夫婦で参加されている若いカップルありと驚きの連続。参加者38名中、私のような初心者は15名。足手まといにならぬようようにがんばらねばという思いと頼れるベテランさんもいるので安心もした。

バスは予定よりも1時間半も遅れ、南三陸町へ入った。TVで目にした何もなくなっている光景が・・・。バス内からため息が漏れた。そして午前10時前にまずは高台のスポーツ施設内にある南三陸町ボランティアセンターに着いた。

初めてのボランティアツァー参加 南三陸町①

065

8月11日~12日実際には8月10日の21:00に千葉をバスにて出発東北支援のボランティア活動のツァーに参加してきた。それはきつかったがやりがいのある体験ができた。

どこかで災害が起こるたびに被災者の方々を助けたいという思いは常にあった。しかし自分の生活からはさまざまな事情が障害となって無理なこととあきらめ、結局「義援金」という形でしか協力できなかった。

かりにボランティアとして現地に出掛けることが可能だったとしても、個人で滞在先の宿泊や食料確保などどうやったら良いかもわからない。そんな理由も大きなあきらめとなっていた。

ところが昨年の東日本大震災以降ボランティア活動の形も大いに変わってきたようだ。震災後数カ月経つと道路も復旧、現地の宿泊地も確保できるようになり、旅行会社やバス会社がボランティアツァーを企画し始めたのだ。嬉しい!!これならば自宅の事情をクリアすれば参加できると考えはじめていた。決行は夏休みと自分の中では決めていた。

インターネットでボランティアの参加を募る企画を調べると、たいてい夜遅くに出発。現地に朝着いてボランティア活動開始。その夜、現地で宿泊、3日目午前中ボランティア活動、そして昼から帰路につき夜遅くに出発地に到着というパターンが多い。私は千葉の田舎に住んでいるため少なくとも千葉駅発の終電に間に合わなければならない。必然、千葉県内出発の企画に限定される。東京発の企画が多く千葉発はかなり少ない。その中で千葉中央バスが企画するボランティアツァーに参加することに決めた。

最近の高速バスの事故が気になるところだが、このバス会社は千葉市内の路線バスで走っている確かな会社だし、運転手は2名、添乗員も同行するということで信用し申し込んだ。

ツァーの名は“宮城県災害復興支援 絆メイトin 南三陸町” 家族の協力を得て出発にこぎつけた。

2007/08/09

はだしのゲン

 8月6日の広島への原爆投下(原爆記念日)、そして8月9日は長崎への原爆投下。あれからすでに62年も経った。TVから流れる平和式典のニュースのバックにはあの日の朝にも耳についていたであろう蝉しぐれが虚しく響いていた。

毎年8月の声をきくと、メディアでは太平洋戦争関連の特集が扱われる。最近、民放のTV番組の宣伝で「はだしのゲン」(漫画)を実写版で近々放映するということを知った。

はだしのゲン」が、原爆や戦争の悲惨さを取り上げた漫画だとは聞いてはいたが読んだことはない。昨年、コンビニで見かけた「はだしのゲン」のダイジェスト版(原作は少年ジャンプに長編連載されていたという)を見つけ、我が子に読ませようと購入し与えていた。

その本を思い出し、今回は読む気になり本日自室にこもり一息に読み上げた。作者の自叙伝を元に書かれたもので、予想はしたがあらためて原爆の恐ろしさ、戦争の狂気や悲惨さを思い知った。それとは別に主人公ゲンの明るさと逞しさ、家族の絆の強さや思いやりも見事に描かれていると感じた。

「はだしのゲン」中沢啓治原作 

<①非国民じゃないぞ編②ピカドン地獄編より>

「はだしのゲン」実写版←HPにリンクしてます!

8月10日(金)、8月11日(土) 

午後9時~ フジテレビ系列で放映予定

私はこの番組を見るつもりでおります!!

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